井上文雄

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル井上文雄
+ヨミガナ / NAME / 性別イノウエ フミオ / INOUE FUMIO / 男
+小見出し田安家侍医
+別名
+別称〔称〕元真 【和】
〔号〕調鶴・歌堂・柯堂 【和】
[法号]文雄院歌先妙道居士 【国2】
+生年月日寛政12年<1800> 【国2】
+没年月日明治4年<1871>11月18日 【国2】
+享年72歳 【国2】
+生国・住国江戸 【国2】
+生国・住国(現在地名)
+生国
+生国(現在地名)
+住国
+住国(現在地名)
+墓地名下谷谷中善光寺坂玉林寺 【国2】
+墓地現在地
+学統加藤千蔭・岸本由豆流・一柳千古 【和】
+典拠国伝2,国書人名辞典,和学者総覧.633
+解説目次
+解説 江戸に生まれ田安家の侍医を務め、後に日本橋茅場町に住み歌人として立つ。年少のころは任侠の風があったという。
 はじめ春海門の考証及び歌に優れた岸本由豆流に学び、後に橘千蔭門下の一柳千古を師として和歌を学ぶ。田安家の侍医を務めた関係から、江戸の各大名の藩邸に歌の教授者として出入りして名声が高かった。常に古人の歌集を愛読し、撰集の類は撰者の好むところが一定の形式で固まるゆえ作者の真面目を失うとし、家集がそれぞれの風格を持っていることを喜んだという。また、江戸派最後の歌人として光を放った存在ともいわれ、「景樹以後の歌口」と人々に持て囃された。晩年には幕府の凋落を悲しみ、明治政府の忌諱に触れて七十近くの老齢で入牢するなどもした。
著作に、歌論を述べた随筆『伊勢の家づと』、彼の門下の作を編集した『摘英集』『さきはひ草』、歌のことを記した『道のさきはひ』、『歌道初学抄』、注釈書として『冠註伊勢物語』、『大和物語新註』、『冠註大和物語』、『大井川御幸和歌序考証』などがあり、『古今集序考』『八代集評論』、『和学辨』、『詞林栞』、家集として『調鶴集』がある。井上淑蔭と交流し、弟子には横山由清などがいる。
 
[参考文献]
・渡辺刀水「井上文雄の筆禍」『渡辺刀水集 二』[青裳堂書店 昭和61年]
・中澤伸宏「井上淑蔭と江戸の歌人國學者―井上文雄との交流を通して―」『皇學館論叢』第40巻第5号[平成19年]
・『校註国歌大系20巻』明治氏初期諸家集 [昭和51年]
+特記事項
+参考文献
+史資料学統〔古学下〕
岸本由豆流・一柳千古―文雄田安藩ノ侍医ナリ。四十五俵少ヨリ和歌ヲ好マレ、初、岸本由豆流ニ学ビ、後、一柳千古ヲ師トシ、皇国ノ学ヲモイソシマレケリ。其ウチ和歌ニ最モ長ゼラレタリ。常ニ古人ノ家集ヲ愛ラレケリ。ソハ撰集ノ類ハ、撰者等所好ノ風ノミヲ取リ、作者ノ眞面目ヲ失ヘバ、善悪トモ、家集ヲ読ムニ如クハナシトナリ。又新古今集以前、寛治比ノ歌ノ常語ヲ、ミヤビニ甘ク取リ回セル姿ヲ、好マレケリ。趣ハ替レドモ、景樹以後ノ歌口ナリト、人々取リハヤシケリ。文雄少カリシ時、任侠ノ風アリテ、然諾ヲ重ンジ。人ノ困難ヲ解クヲ以テ任トセリ。
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類古学,国書,和歌,明治,神人,大事典,名家
+和学者カード
-40425 国学関連人物データベース 36 1 CKP000085 井上文雄 INOUE FUMIO  江戸に生まれ田安家の侍医を務め、後に日本橋茅場町に住み歌人として立つ。年少のころは任侠の風があったという。
 はじめ春海門の考証及び歌に優れた岸本由豆流に学び、後に橘千蔭門下の一柳千古を師として和歌を学ぶ。田安家の侍医を務めた関係から、江戸の各大名の藩邸に歌の教授者として出入りして名声が高かった。常に古人の歌集を愛読し、撰集の類は撰者の好むところが一定の形式で固まるゆえ作者の真面目を失うとし、家集がそれぞれの風格を持っていることを喜んだという。また、江戸派最後の歌人として光を放った存在ともいわれ、「景樹以後の歌口」と人々に持て囃された。晩年には幕府の凋落を悲しみ、明治政府の忌諱に触れて七十近くの老齢で入牢するなどもした。
著作に、歌論を述べた随筆『伊勢の家づと』、彼の門下の作を編集した『摘英集』『さきはひ草』、歌のことを記した『道のさきはひ』、『歌道初学抄』、注釈書として『冠註伊勢物語』、『大和物語新註』、『冠註大和物語』、『大井川御幸和歌序考証』などがあり、『古今集序考』『八代集評論』、『和学辨』、『詞林栞』、家集として『調鶴集』がある。井上淑蔭と交流し、弟子には横山由清などがいる。
 
[参考文献]
・渡辺刀水「井上文雄の筆禍」『渡辺刀水集 二』[青裳堂書店 昭和61年]
・中澤伸宏「井上淑蔭と江戸の歌人國學者―井上文雄との交流を通して―」『皇學館論叢』第40巻第5号[平成19年]
・『校註国歌大系20巻』明治氏初期諸家集 [昭和51年] 井上文雄 INOUE FUMIO , 633 小伝 国伝 全 36016 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 田安家侍医 男 イノウエ フミオ / INOUE FUMIO / 男  江戸に生まれ田安家の侍医を務め、後に日本橋茅場町に住み歌人として立つ。年少のころは任侠の風があったという。
 はじめ春海門の考証及び歌に優れた岸本由豆流に学び、後に橘千蔭門下の一柳千古を師として和歌を学ぶ。田安家の侍医を務めた関係から、江戸の各大名の藩邸に歌の教授者として出入りして名声が高かった。常に古人の歌集を愛読し、撰集の類は撰者の好むところが一定の形式で固まるゆえ作者の真面目を失うとし、家集がそれぞれの風格を持っていることを喜んだという。また、江戸派最後の歌人として光を放った存在ともいわれ、「景樹以後の歌口」と人々に持て囃された。晩年には幕府の凋落を悲しみ、明治政府の忌諱に触れて七十近くの老齢で入牢するなどもした。
著作に、歌論を述べた随筆『伊勢の家づと』、彼の門下の作を編集した『摘英集』『さきはひ草』、歌のことを記した『道のさきはひ』、『歌道初学抄』、注釈書として『冠註伊勢物語』、『大和物語新註』、『冠註大和物語』、『大井川御幸和歌序考証』などがあり、『古今集序考』『八代集評論』、『和学辨』、『詞林栞』、家集として『調鶴集』がある。井上淑蔭と交流し、弟子には横山由清などがいる。
 
[参考文献]
・渡辺刀水「井上文雄の筆禍」『渡辺刀水集 二』[青裳堂書店 昭和61年]
・中澤伸宏「井上淑蔭と江戸の歌人國學者―井上文雄との交流を通して―」『皇學館論叢』第40巻第5号[平成19年]
・『校註国歌大系20巻』明治氏初期諸家集 [昭和51年] いのうえ ふみお,家歌堂,家柯堂,調鶴,文雄院歌先妙道居士 イノウエ フミオ 〔称〕元真 【国2】 〔号〕調鶴・歌堂・柯堂 [家号]歌堂・柯堂 【国1】・調鶴 【和】 [法号]文雄院歌先妙道居士 【国2】 〔称〕元真 【和】
〔号〕調鶴・歌堂・柯堂 【和】
[法号]文雄院歌先妙道居士 【国2】 寛政12年<1800> 【国2】 11月18日 明治4年<1871>11月18日 【国2】 72歳 【国2】 1800 - 1871 江戸 江戸 【国2】 江戸 【国2】 下谷谷中善光寺坂玉林寺 【国2】 加藤千蔭・岸本由豆流・一柳千古 【和】 加藤千蔭・岸本由豆流・一柳千古 【和】 国伝2,国書人名辞典,和学者総覧.633 学統〔古学下〕
岸本由豆流・一柳千古―文雄田安藩ノ侍医ナリ。四十五俵少ヨリ和歌ヲ好マレ、初、岸本由豆流ニ学ビ、後、一柳千古ヲ師トシ、皇国ノ学ヲモイソシマレケリ。其ウチ和歌ニ最モ長ゼラレタリ。常ニ古人ノ家集ヲ愛ラレケリ。ソハ撰集ノ類ハ、撰者等所好ノ風ノミヲ取リ、作者ノ眞面目ヲ失ヘバ、善悪トモ、家集ヲ読ムニ如クハナシトナリ。又新古今集以前、寛治比ノ歌ノ常語ヲ、ミヤビニ甘ク取リ回セル姿ヲ、好マレケリ。趣ハ替レドモ、景樹以後ノ歌口ナリト、人々取リハヤシケリ。文雄少カリシ時、任侠ノ風アリテ、然諾ヲ重ンジ。人ノ困難ヲ解クヲ以テ任トセリ。 ・井上文雄 『調鶴集』(国民図書株式会社編 『校註国歌大系』18, 講談社, 1976.10)
・渡辺刀水 「井上文雄の筆禍」(日本書誌学大系47-2『渡辺刀水集』(2),青裳堂書店, 1986.10)
・中澤伸弘 「井上淑蔭と江戸の歌人國學者―井上文雄との交流を通して―」(『皇學館論叢』40-5, 2007) 古学,国書,和歌,明治,神人,大事典,名家 史資料・解説 寛政(1789-1801) 享和(1801-1804) 文化(1804-1818) 文政(1818-1830) 天保(1830-1844) 弘化(1844-1848) 嘉永(1848-1854) 安政(1854-1860) 万延(1860-1861) 文久(1861-1864) 元治(1864-1865) 慶応(1865-1868) 明治(1868-1912)

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