香川宣阿

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル香川宣阿
+ヨミガナ / NAME / 性別カガワ センア / KAGAWA SENA / 男
+小見出し岩国藩士、初代梅月堂
+別称〔姓〕平 【和】
〔称〕木工允 【和】
〔名〕景継・善隣 【和】
[法名]宣阿弥 【国1】尭真 【和】
〔号〕一枝軒・淵竜・梅月堂 【和】
+生年月日正保3年<1646> 【国1】(一説に、正保4年<1647> 【書】)
+没年月日享保20年<1735>9月22日 【国1】
+享年90歳 【国1】
+生国・住国(現在地名)周防・京都
+生国周防岩国 【国1】
+住国京都一條 【国1】
+墓地名洛陽聞名寺 【国1】
+学統阿野公業・白河雅喬・清水谷実業・中院通茂・武者小路実陰・伏原宣幸・他阿尊遵・阿野公緒
+典拠国伝1,国書人名辞典,和学者総覧.2776
+史資料〔柵 10〕
 清水谷実業の門人なり。東山上皇、享保中、時の三十六歌仙を撰み給ふ。宣阿亦其中に入る。所謂、一条の今西行これなり。
+辞書類国書,和歌,国史,大事典,名家
-40416 国学関連人物データベース 36 1 CKP000076 香川宣阿 KAGAWA SENA  周防岩国藩の老臣・香川正矩の子として生まれる。寛文13年(1673)1月18日、岩国より上京、貞享4年(1687)2月に出家して時宗僧となる。

■学問動向
上京後は、儒者宇都宮由的に学び、京都の文壇内では儒者として知られていた。和歌は始め雅喬王に、元禄の頃から清水谷実業に学ぶ。この頃、堂上諸家が行なう歌会に通っており、実業より和歌のみでなくサロン的な雰囲気も学んでいたようである。この他、阿野公業や中院通茂、武者小路実陰にも学んだ。また、遊行四十五世尊遵上人より古今伝授を受けている。この伝授は冷泉為和より遊行二十五世仏天上人に相伝され、代々相承されたものである。このほか「惟足伝八雲神詠」など、近世に時宗内に流伝していた二条家流・冷泉家流の切紙が急速に宣阿に収斂していったことが窺える。宣阿は時宗の文学的圏の中においても活動し、京都以外にも尾張、伊勢、岩国などへも足をのばしている。熱田神宮所蔵の『奉納和歌三十首』には冒頭に宣阿の名がみえることから、宣阿と熱田歌檀との関わりが想定されるが、これは時宗の文学的ネットワークに拠るものであろう。地下二条派、二条派地下宗匠として活躍し、京都の厳阿法師や井上随入などを始め、尾張を始めとして諸国に多くの門人を輩出した。享保年中には、東山天皇の勅によって「時の三十六歌仙」が編まれた際、その中に選ばれ、「一条の今西行」と称されている。堂上方は宣阿を指導者として認めてはいなかったが、宣阿が堂上歌学を学び、それを地下歌人に伝えたことは、当時において和歌人口が飛躍的に伸びることからも注目される。

■『草庵和歌集蒙求諺解』
宣阿の著作には、歌学に関して正徳9年(1719)になる『草庵和歌集蒙求諺解』がある。これは、二条派の人々が作歌の手本として尊重されていた頓阿の家集『草庵集』について、はじめて全註釈を加えたものであり、古語・古詩・神書など352部の文献から特に本歌や類歌を引用し、詳細に注を加えている。同書からは、読者の参考になることは何でも書き入れておこうとする姿勢が見られる。本居宣長は同書に対して手厳しい批判を加えたが、その学識については評価をしている。

■『陰徳太平記』
その他の著作には『陰徳太平記』がある。これは父正矩が『陰徳記』を執筆していたが、万治3年(1660)に没したため、これを承けて著されたものである。元禄8年(1695)に一応脱稿するものの、その後も推敲を続け、宝永4年(1707)頃、岩国藩庁より刊行許可を得、正徳2年(1712)に刊行している。同書にも宣阿の注釈について入念な姿勢を見ることができる。

■歌集
歌集には没後に門人が集めた『梅月堂堯真法師和歌』『梅月堂宣阿歌集』、元禄年間に詠んだ歌を集めた『水雲集』がある。また、紀行文には元禄8年(1695)に京都の門人で秋野道場の厳阿法師や井上随入とともに尾張・三河を訪れ、富士山を観たのちに伊勢に立ち寄ったことを記した『東遊紀行』がある。同書によれば、宣阿は行く先々で門人に宿を提供され、歌会が催されて会見を求められたこと、伊勢では中西信慶と対面したことなどが見える。 香川宣阿 KAGAWA SENA , 2776 小伝 国伝 全 36007 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 岩国藩士、初代梅月堂 男 カガワ センア / KAGAWA SENA / 男 かがわ せんあ,平,木工允,景継,堯眞,善隣,梅月堂,一枝軒,淵竜,宣阿弥,尭真 カガワ センア 〔姓〕平 【国1】 〔称〕木工允 【和】 〔名〕景継・堯眞・善隣 【国1】 〔号〕梅月堂 【国1】・一枝軒・淵竜 【和】〔諱〕宣阿弥 【国1】・[法名]尭真 【和】 [法名]宣阿弥 〔姓〕平 【和】
〔称〕木工允 【和】
〔名〕景継・善隣 【和】
[法名]宣阿弥 【国1】尭真 【和】
〔号〕一枝軒・淵竜・梅月堂 【和】 正保3年<1646> 【国1】(一説に、正保4年<1647> 【書】) 9月22日 享保20年<1735>9月22日 【国1】 90歳 【国1】 1846 - 1735 周防岩国 , 京都一條 周防・京都 周防岩国 【国1】 京都一條 【国1】 洛陽聞名寺 【国1】 阿野公業・白河雅喬・清水谷実業・中院通茂・武者小路実陰・伏原宣幸・他阿尊遵・阿野公緒 阿野公業・白河雅喬・清水谷実業・中院通茂・武者小路実陰・伏原宣幸・他阿尊遵・阿野公緒 【和】 国伝1,国書人名辞典,和学者総覧.2776 〔柵 10〕
 清水谷実業の門人なり。東山上皇、享保中、時の三十六歌仙を撰み給ふ。宣阿亦其中に入る。所謂、一条の今西行これなり。 ・渡辺隆一 「歌人梅月堂宣阿―元禄期歌壇の一考察―」(笹川祥生ほか編 『草庵蒙求諺解―本文と索引―』, 和泉書院, 1985.5)
・松田修,笹川祥生共編 『正徳二年板本 陰徳太平記』「解題」(臨川書店, 1972)
・神作研一 「初代梅月堂香川宣阿のこと-前半生を論じて時宗との関わりに及ぶ-」(『近世文芸』57, 1993)
・神作研一 「初代梅月堂香川宣阿のことー堂上と地下の問題を中心にー」(『国文学論叢』26, 1993)
・神作研一 「香川宣阿の家集について」(『和歌文学研究』66, 1993)
・神作研一「元禄の添削」(『近世文芸』81, 2005) 国書,和歌,国史,大事典,名家 草庵集蒙求諺解,須磨明石抄,三王桃事抄,捨つる言の葉,梅月堂随筆① 史資料・解説
資料ID40416

PageTop