狩谷望之

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル狩谷望之
+ヨミガナ / NAME / 性別カリヤ モチユキ / KARIYA MOCHIYUKI / 男
+小見出し書肆青裳堂高橋高敏男、津軽藩御用達
+別名
+別称〔姓〕高橋 【和】
〔称〕与惣冶・三右衛門 【和】津軽屋三右衛門 【国2】
〔名〕真末・真秀 【和】望之・真木 【書】
〔字〕卿雲・自直 【和】
〔号〕棭斎・蟫翁・六漢老人・求古楼・常関書院・実事求是書屋・麦雨・超花亭・ねむのや・双魚 【和】
[屋号]津軽屋 【和】
[家号]常閑書院・實事求是書屋 【国2】
+生年月日安永4年<1775>12月1日 【国2】
+没年月日天保6年<1835>閏7月4日 【国2】
+享年61歳 【国2】
+生国・住国江戸神田 【国2】
+生国・住国(現在地名)東京都千代田区神田
+生国
+生国(現在地名)
+住国
+住国(現在地名)
+墓地名下谷天龍寺 【国2】
+墓地現在地
+学統屋代弘賢 【書】
+典拠国伝2,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.3144
+解説目次
+解説
+特記事項
+参考文献
+史資料〔古学 下〕
 少より書を好み、窺ざる所なし。律令の学をつとめ、吾邦の制は、もと隋唐に採れるをもて、唐律、六典、太平御覧、通典等の諸書を精研し、溯りて漢学を修し、発明する所ありて、終身漢学を墨守す。また源順が倭名類従抄は、上天地より、下草木に至り、網羅遺なし。当時漢字を知り、後世古言を証するもの、此書に及ぶはなし。且その引用の書、皆隋唐間に伝ふる所の古書おほく、今は彼に逸して、適比書により、伝はれり。照し以て輓近の譌謬を訂すべし。本書善本稀なれば、古抄本若干種を比校し、考証十巻を作れり。また度量権衡考を作り、本邦制度の源流を明す。最小学に詳なり。転註考を作り、漢学を主張す。此他、日本霊異記考証、法王帝説証註、古京遺文等の編著あり。又五車の富を肆にす。唐鈔宋槧、元刻晋唐の碑刻法帖、極めて得がたきもの、兼儲せざるなし。幼よりまた、古銭貨を好み、聚る所幾百品なるをしらず。時として間窓に攤列し、これを一楽とす。翁平生人に語て曰、吾唐宗古刻本を集る、徒に西洞の富に誇るにあらず。これを以て、誤本を正んと欲するのみ。泉貨は、度量の徴とし、且これにより、世代風習を考んと欲すと。また漢器を好み、欧陽公の六一の号に擬し、六漢老人と称す。松崎慊堂、市野迷庵(迷庵は三右衛門光彦と云。佐久間町四丁目代地に住めり。今世の国学は六右衛門なりと、人の唱へしは、此両三右衛門のことを云なりとぞ)朝田栫園、北静廬、村田了阿と、魂あへる友なりけり。
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類古学,国書,国史,神人,大事典,名家
+和学者カード
-40405 国学関連人物データベース 36 1 CKP000065 狩谷望之 KARIYA MOCHIYUKI 狩谷望之 KARIYA MOCHIYUKI , 3144 小伝 国伝 全 35996 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 書肆青裳堂高橋高敏男、津軽藩御用達 男 カリヤ モチユキ / KARIYA MOCHIYUKI / 男 かりや もちゆき,高橋,津軽屋三右衛門,与惣冶,三右衛門,望之,真木,真秀,卿雲,求古楼,麦雨,超花亭,ねむのや,双魚,津軽屋,棭斎,蟫翁,六漢老人,家常閑書院,實事求是書屋,自直 カリヤ モチユキ 〔姓〕高橋 【国2】 〔称〕津軽屋三右衛門『伝』 【国2】与惣冶・三右衛門 【和】 〔名〕望之『伝』・真末 【国2】真木・真秀書 〔字〕卿雲 〔号〕棭斎・蟫翁・六漢老人・求古楼・麦雨・超花亭・ねむのや・双魚[家号]常関書院・實事求是書屋 【国2】自直 【和】 [屋号]津軽屋 【国2】 〔姓〕高橋 【和】
〔称〕与惣冶・三右衛門 【和】津軽屋三右衛門 【国2】
〔名〕真末・真秀 【和】望之・真木 【書】
〔字〕卿雲・自直 【和】
〔号〕棭斎・蟫翁・六漢老人・求古楼・常関書院・実事求是書屋・麦雨・超花亭・ねむのや・双魚 【和】
[屋号]津軽屋 【和】
[家号]常閑書院・實事求是書屋 【国2】 44166 安永4年<1775>12月1日 【国2】 閏7月4日 天保6年<1835>閏7月4日 【国2】 61歳 【国2】 1775 - 1835 武蔵国 江戸神田 東京都 東京都千代田区神田 江戸神田 【国2】 東京都千代田区神田 江戸神田 【国2】 下谷天龍寺 【国2】 屋代弘賢 【書】 屋代弘賢 【書】 国伝2,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.3144 〔古学 下〕
 少より書を好み、窺ざる所なし。律令の学をつとめ、吾邦の制は、もと隋唐に採れるをもて、唐律、六典、太平御覧、通典等の諸書を精研し、溯りて漢学を修し、発明する所ありて、終身漢学を墨守す。また源順が倭名類従抄は、上天地より、下草木に至り、網羅遺なし。当時漢字を知り、後世古言を証するもの、此書に及ぶはなし。且その引用の書、皆隋唐間に伝ふる所の古書おほく、今は彼に逸して、適比書により、伝はれり。照し以て輓近の譌謬を訂すべし。本書善本稀なれば、古抄本若干種を比校し、考証十巻を作れり。また度量権衡考を作り、本邦制度の源流を明す。最小学に詳なり。転註考を作り、漢学を主張す。此他、日本霊異記考証、法王帝説証註、古京遺文等の編著あり。又五車の富を肆にす。唐鈔宋槧、元刻晋唐の碑刻法帖、極めて得がたきもの、兼儲せざるなし。幼よりまた、古銭貨を好み、聚る所幾百品なるをしらず。時として間窓に攤列し、これを一楽とす。翁平生人に語て曰、吾唐宗古刻本を集る、徒に西洞の富に誇るにあらず。これを以て、誤本を正んと欲するのみ。泉貨は、度量の徴とし、且これにより、世代風習を考んと欲すと。また漢器を好み、欧陽公の六一の号に擬し、六漢老人と称す。松崎慊堂、市野迷庵(迷庵は三右衛門光彦と云。佐久間町四丁目代地に住めり。今世の国学は六右衛門なりと、人の唱へしは、此両三右衛門のことを云なりとぞ)朝田栫園、北静廬、村田了阿と、魂あへる友なりけり。 古学,国書,国史,神人,大事典,名家 上宮聖徳法王帝説証,日本霊異記考証,延喜式薬録,扶桑略紀校譌,箋註和名類聚抄,新撰字鏡分音,転註説,姓氏録捷覧,諸国採輯風土記,本朝度量権衡考,本朝度量権衡補正,皇国泉貨通考,新校正孔方図鑑,摭古遺文,古京遺文,石川年足卿墓志攷証質疑,本草和名攷異,液斉自註庭訓往来[慶著.和] 史資料 安永(1772-1781) 天明(1781-1789) 寛政(1789-1801) 享和(1801-1804) 文化(1804-1818) 文政(1818-1830) 天保(1830-1844)

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