天野信景

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル天野信景
+ヨミガナ / NAME / 性別アマノ サダカゲ / AMANO SADAKAGE / 男
+小見出し尾張藩士
+別名
+別称〔姓〕藤原 【和】
〔称〕治部 【国1】権三郎・源蔵・宮内 【和】
[幼名]権三郎 【国続】
[法名]信阿弥 【和】
〔号〕白華翁・信阿弥陀仏 【国1】白華・問津亭・信阿弥・残翁・運甓斎・輟棹翁・凝寂堂 【和】 
[法号]迎接院実蓮社碩誉一空信阿弥陀仏 【書】
+生年月日寛文元年<1661> 【国1】(一説に、寛文3年<1663>9月25日 【書】)
+没年月日享保18年<1733>9月8日 【国1】
+享年73(一説に、78)歳 【国続】71(一説に、73)歳 【書】
+生国・住国尾張名古屋 【和】
+生国・住国(現在地名)愛知県
+生国
+生国(現在地名)
+住国
+住国(現在地名)
+墓地名城南性高院 【国1】名古屋性高院 【書】
+墓地現在地
+学統度会延佳・吉見幸和・熱田神宮大宮司・単誉上人一如 【和】
+典拠国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.430
+解説目次
+解説 尾張藩士の天野信幸の長男として、名古屋城下南大津町に生まれる。貞享元年(1684)、父信幸の死に伴い家督を相続、寄合に列した。正徳5年(1715)7月には鉄砲頭となったが、享保8年(1723)、病のため職を辞し、同15年(1730)2月には致仕。剃髪・隠居した。

■学問動向・交流
 幼時より学問を好んだ。朱子学を学問の基底に据えながら、和漢の学を究めるとともに、名古屋養林寺7世単誉上人一如から仏典も学んでいる。元禄11年(1698)、藩主徳川綱誠の命により、尾張東照宮祠官の吉見幸和らとともに『尾張風土記』の編纂に着手。この経験から実証的な学問方法を体得した。吉見幸和と深い親交を結んだことは有名で、熱田神宮祝師の田島仲頼とも親交があり、伊勢外宮権禰宜の度会延佳とも親交を結んだという。門人に、尾張藩士で『日本書紀集解』を著わした河村秀頴・秀根父子らがいる。
 信景の実証的な学問的態度は、本居宣長や伴信友、河村秀根などに影響を与えたといわれ、平田篤胤の『俗神道大意』や谷川士清『倭訓栞』には、信景の『塩尻』が引用されている。
+特記事項■『塩尻』
 信景の主著である『塩尻』は、国文・国語・国史・漢学・有職故実・神祇・仏教・本草学・天文学など幅広い分野にわたる考証随筆で、元禄年間(1688―1704)から没するまでの30余年間にわたって執筆された。書名は、古来難解の語とされた『伊勢物語』中の「しほじり」の解釈を巻頭に置いたことに由来する。内容はきわめて実証主義的な考証学に貫かれており、なかには、西洋人の観察や西洋の風物、植物・動物・鉱物などの記載も見られ、「博物学者」としての信景の一面すら見ることができる。また『塩尻』中には、熱田神宮に関する言及も多く見られ、吉田神道・吉川神道の影響から、神秘的な秘伝を重んずる神道説が、熱田神宮にも勢力を誇っていたなかにあって、それを批判し、尾張氏の古伝(信景は田島仲頼からその知識を得たという)を重視して神事を行なうべきことを説いた。また吉田家の勢力増大を憂え、吉川惟足の説を牽強付会として退け、熱田神宮の中﨟で惟足門下であった長岡為麿をその元凶として攻撃している。

■尾張国の神社研究
 信景の学問は、尾張国の神社研究にも特色がある。主として諸本の異同を比較し、その一つ一つを分註に記した『参考本国神名帳』、度会延経(度会延佳の次男で伊勢外宮権禰宜)の『神名帳考証』を基礎として、さらに祭神・社地などを詳細に考証した『参考本国神名帳集説』がある。また熱田神宮の研究では、『熱田大神宮本社末社神体尊命記集説』(元禄6年【1693】成立)、『熱田寛平記頭注』(元禄16年【1703】以前成立)などの著作もあり、およそ100年後に活躍した伊藤信民とともに、近世期における熱田神宮研究の先駆者の一人に数えられている。

■歴史学者としての信景
 歴史学者としての信景は、尾張初代藩主徳川義直の学風を受け継ぐもので、正史・国史・帝紀・実録を証とすべきことを繰り返し説いている。彼の南朝正統論には、山崎闇斎学派の影響が見られ、『神皇正統記弁』『続神皇正統記弁』の著述もある。
+参考文献
+史資料〔塩尻 55〕
 此翁は、殊に文武を兼備し、元より経学は蛍雪に功をつみて、博聞強記、古今の載籍にわたり、その淵源を探り、又卜部(熱田神官)及び尾張氏の家にたよりては、我国のぼれる世の道をたどり、釈氏の教は顕密の窓を放て、其蘊奥を会し、老に及で、浄土の念仏三昧の門に入る。寔に奇才の俊欠なりき。生涯風流洒落、詩歌に心をよせ、其性温厚和平、致仕の後は、ひたすら帯剣を投じ、麻衣草食にして、日々藜杖の向ふ所に任せ、身を風雲に伴うて遊べり。一生著述の歌書、棟に充ち、牛に汗すともいふべし。就中、この塩尻の一部は、坐右消間の随筆にして、凡千巻に近し、然るに抄書に懶く、つねに一行をも筆を下す事なし。文書心にうかむ時は、反古やうの物に草稿を儲け、友の到るを待て、清書なさしめ、其稿を焚すてられし故に、世に真蹟希れ也。(予が許に、其比自筆の草稿一枚を蔵す。殊勝の筆なり)
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類古学,国書,神大,和歌,国史,神人,神事,神史,大事典,名家
+和学者カード
-40394 国学関連人物データベース 36 1 CKP000054 天野信景 AMANO SADAKAGE  尾張藩士の天野信幸の長男として、名古屋城下南大津町に生まれる。貞享元年(1684)、父信幸の死に伴い家督を相続、寄合に列した。正徳5年(1715)7月には鉄砲頭となったが、享保8年(1723)、病のため職を辞し、同15年(1730)2月には致仕。剃髪・隠居した。

■学問動向・交流
幼時より学問を好んだ。朱子学を学問の基底に据えながら、和漢の学を究めるとともに、名古屋養林寺7世単誉上人一如から仏典も学んでいる。元禄11年(1698)、藩主徳川綱誠の命により、尾張東照宮祠官の吉見幸和らとともに『尾張風土記』の編纂に着手。この経験から実証的な学問方法を体得した。吉見幸和と深い親交を結んだことは有名で、熱田神宮祝師の田島仲頼とも親交があり、伊勢外宮権禰宜の度会延佳とも親交を結んだという。門人に、尾張藩士で『日本書紀集解』を著わした河村秀頴・秀根父子らがいる。

■『塩尻』
信景の主著である『塩尻』は、国文・国語・国史・漢学・有職故実・神祇・仏教・本草学・天文学など幅広い分野にわたる考証随筆で、元禄年間(1688―1704)から没するまでの30余年間にわたって執筆された。書名は、古来難解の語とされた『伊勢物語』中の「しほじり」の解釈を巻頭に置いたことに由来する。内容はきわめて実証主義的な考証学に貫かれており、なかには、西洋人の観察や西洋の風物、植物・動物・鉱物などの記載も見られ、「博物学者」としての信景の一面すら見ることができる。また『塩尻』中には、熱田神宮に関する言及も多く見られ、吉田神道・吉川神道の影響から、神秘的な秘伝を重んずる神道説が、熱田神宮にも勢力を誇っていたなかにあって、それを批判し、尾張氏の古伝(信景は田島仲頼からその知識を得たという)を重視して神事を行なうべきことを説いた。また吉田家の勢力増大を憂え、吉川惟足の説を牽強付会として退け、熱田神宮の中﨟で惟足門下であった長岡為麿をその元凶として攻撃している。

■尾張国の神社研究
信景の学問は、尾張国の神社研究にも特色がある。主として諸本の異同を比較し、その一つ一つを分註に記した『参考本国神名帳』、度会延経(度会延佳の次男で伊勢外宮権禰宜)の『神名帳考証』を基礎として、さらに祭神・社地などを詳細に考証した『参考本国神名帳集説』がある。また熱田神宮の研究では、『熱田大神宮本社末社神体尊命記集説』(元禄6年【1693】成立)、『熱田寛平記頭注』(元禄16年【1703】以前成立)などの著作もあり、およそ100年後に活躍した伊藤信民とともに、近世期における熱田神宮研究の先駆者の一人に数えられている。

■歴史学者としての信景
歴史学者としての信景は、尾張初代藩主徳川義直の学風を受け継ぐもので、正史・国史・帝紀・実録を証とすべきことを繰り返し説いている。彼の南朝正統論には、山崎闇斎学派の影響が見られ、『神皇正統記弁』『続神皇正統記弁』の著述もある。

■信景の学問的態度
信景の実証的な学問的態度は、本居宣長や伴信友、河村秀根などに影響を与えたといわれ、平田篤胤の『俗神道大意』や谷川士清『倭訓栞』には、信景の『塩尻』が引用されている。 天野信景 AMANO SADAKAGE , 430 小伝 国伝 全 35985 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 尾張藩士 男 アマノ サダカゲ / AMANO SADAKAGE / 男  尾張藩士の天野信幸の長男として、名古屋城下南大津町に生まれる。貞享元年(1684)、父信幸の死に伴い家督を相続、寄合に列した。正徳5年(1715)7月には鉄砲頭となったが、享保8年(1723)、病のため職を辞し、同15年(1730)2月には致仕。剃髪・隠居した。

■学問動向・交流
 幼時より学問を好んだ。朱子学を学問の基底に据えながら、和漢の学を究めるとともに、名古屋養林寺7世単誉上人一如から仏典も学んでいる。元禄11年(1698)、藩主徳川綱誠の命により、尾張東照宮祠官の吉見幸和らとともに『尾張風土記』の編纂に着手。この経験から実証的な学問方法を体得した。吉見幸和と深い親交を結んだことは有名で、熱田神宮祝師の田島仲頼とも親交があり、伊勢外宮権禰宜の度会延佳とも親交を結んだという。門人に、尾張藩士で『日本書紀集解』を著わした河村秀頴・秀根父子らがいる。
 信景の実証的な学問的態度は、本居宣長や伴信友、河村秀根などに影響を与えたといわれ、平田篤胤の『俗神道大意』や谷川士清『倭訓栞』には、信景の『塩尻』が引用されている。 ■『塩尻』
 信景の主著である『塩尻』は、国文・国語・国史・漢学・有職故実・神祇・仏教・本草学・天文学など幅広い分野にわたる考証随筆で、元禄年間(1688―1704)から没するまでの30余年間にわたって執筆された。書名は、古来難解の語とされた『伊勢物語』中の「しほじり」の解釈を巻頭に置いたことに由来する。内容はきわめて実証主義的な考証学に貫かれており、なかには、西洋人の観察や西洋の風物、植物・動物・鉱物などの記載も見られ、「博物学者」としての信景の一面すら見ることができる。また『塩尻』中には、熱田神宮に関する言及も多く見られ、吉田神道・吉川神道の影響から、神秘的な秘伝を重んずる神道説が、熱田神宮にも勢力を誇っていたなかにあって、それを批判し、尾張氏の古伝(信景は田島仲頼からその知識を得たという)を重視して神事を行なうべきことを説いた。また吉田家の勢力増大を憂え、吉川惟足の説を牽強付会として退け、熱田神宮の中﨟で惟足門下であった長岡為麿をその元凶として攻撃している。

■尾張国の神社研究
 信景の学問は、尾張国の神社研究にも特色がある。主として諸本の異同を比較し、その一つ一つを分註に記した『参考本国神名帳』、度会延経(度会延佳の次男で伊勢外宮権禰宜)の『神名帳考証』を基礎として、さらに祭神・社地などを詳細に考証した『参考本国神名帳集説』がある。また熱田神宮の研究では、『熱田大神宮本社末社神体尊命記集説』(元禄6年【1693】成立)、『熱田寛平記頭注』(元禄16年【1703】以前成立)などの著作もあり、およそ100年後に活躍した伊藤信民とともに、近世期における熱田神宮研究の先駆者の一人に数えられている。

■歴史学者としての信景
 歴史学者としての信景は、尾張初代藩主徳川義直の学風を受け継ぐもので、正史・国史・帝紀・実録を証とすべきことを繰り返し説いている。彼の南朝正統論には、山崎闇斎学派の影響が見られ、『神皇正統記弁』『続神皇正統記弁』の著述もある。 あまの さだかげ,藤原,治部,権三郎,源蔵,宮内,子顕,白華翁,信阿弥陀仏,白華,信阿弥,問津亭,残翁,運甓斎,輟棹翁,凝寂堂 アマノ サダカゲ 〔姓〕藤原 【和】 〔称〕治部 【国1】権三郎・源蔵・宮内 【和】 [幼名]権三郎 【国続】 [法名]信阿弥 【和】 〔字〕子顕 【国1】 〔号〕白華翁・信阿弥陀仏 【国1】白華・問津亭・信阿弥・残翁・運甓斎・輟棹翁・凝寂堂 【和】 [法号]迎接院実蓮社碩誉一空信阿弥陀仏 〔姓〕藤原 【和】
〔称〕治部 【国1】権三郎・源蔵・宮内 【和】
[幼名]権三郎 【国続】
[法名]信阿弥 【和】
〔号〕白華翁・信阿弥陀仏 【国1】白華・問津亭・信阿弥・残翁・運甓斎・輟棹翁・凝寂堂 【和】 
[法号]迎接院実蓮社碩誉一空信阿弥陀仏 【書】 44099 寛文元年<1661> 【国1】(一説に、寛文3年<1663>9月25日 【書】) 9月8日 享保18年<1733>9月8日 【国1】 73(一説に、78)歳 【国続】71(一説に、73)歳 【書】 1661 - 1733 尾張国 尾張名古屋 愛知県 愛知県 尾張名古屋 【和】 愛知県 尾張名古屋 【和】 城南性高院 【国1】名古屋性高院 【書】 度会延佳・吉見幸和・熱田神宮大宮司・単誉上人一如 【和】 度会延佳・吉見幸和・熱田神宮大宮司・単誉上人一如 【和】 国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.430 〔塩尻 55〕
 此翁は、殊に文武を兼備し、元より経学は蛍雪に功をつみて、博聞強記、古今の載籍にわたり、その淵源を探り、又卜部(熱田神官)及び尾張氏の家にたよりては、我国のぼれる世の道をたどり、釈氏の教は顕密の窓を放て、其蘊奥を会し、老に及で、浄土の念仏三昧の門に入る。寔に奇才の俊欠なりき。生涯風流洒落、詩歌に心をよせ、其性温厚和平、致仕の後は、ひたすら帯剣を投じ、麻衣草食にして、日々藜杖の向ふ所に任せ、身を風雲に伴うて遊べり。一生著述の歌書、棟に充ち、牛に汗すともいふべし。就中、この塩尻の一部は、坐右消間の随筆にして、凡千巻に近し、然るに抄書に懶く、つねに一行をも筆を下す事なし。文書心にうかむ時は、反古やうの物に草稿を儲け、友の到るを待て、清書なさしめ、其稿を焚すてられし故に、世に真蹟希れ也。(予が許に、其比自筆の草稿一枚を蔵す。殊勝の筆なり) ・井上頼文 「天野信景の伝」(『國學院雑誌』14-2,明治41)
・井後政晏 「『塩尻』の著者天野信景と熱田神宮の祝師田島仲頼との親交について」(『あつた』116,1980)
和学者総覧.430 古学,国書,神大,和歌,国史,神人,神事,神史,大事典,名家 伊勢大神宮参詣記,熱田神宮問答,尾張人物志(尾張国人物誌),参考尾張本国帳,諸士家紋旧伝,尾張国志,尊命記集説,南朝紹運録,吉野紀行,尾張古城志,読書範,白華雑記,塩尻,旧記残編,[慶著 和]神器授受伝,神事発揮,神宮評,神宮問集記,神代巻聞書,神代紀聞,神祇本源抜萃,総社参詣記,伊勢参宮里程抄(伊勢参道里程抄),牛頭天王辨,熱田問答雑録(熱田神社問答雑録),熱田寛平記頭註,大日霊尊訓意秘訣,祭祀雑藁,淫祀辨,倭姫記考異,尾張五社略記,尾張祠考,尾張十五寺略記,卜氏辨,神皇正統記校考,続神皇正統記辨(辨続神皇正統記),王代一覧補遺,貞享御即位聞書,姓氏考,新撰姓氏録校考,藤原系図伝,職源抄聞書,(職原抄聞書),大和称呼秘解,造言辨講習次第辨,師檀名辨,徳川世紀御系図考案,武業記弓矢伝同補遺,盛衰記抜抄,家紋記,源氏桐壺大概,古今集序註,百人一首聞書,徒然草浅見,海道俚語,呉竹集,塩原雑記,六千鳥,浦の名残,あまあかり,藤川の記校考,小島の慰校考,後の今宵,袂のはと,袖の海,青蚨年月明鑑抄,本朝学令和解,本朝釈奠和解,孔子諡封辨,朱子諡封辨,儒者名辨改説(儒者名義辨),学庸開題,蓍卜図解邪易辨,朱易衍義補,古今易断,三年無改辨,辨恵公請郊論,満州字式,鎮勧要心異解,蓬門要略,地観記東,義解念仏抄,善隣記事,尚島記事,一枚起請沿訓,避子説,犬追物検見考,歩射秘解考,茅花随筆,秋雨閑筆,机上一覧,破窓謾筆,聞考集記,立之初筆,運甓随筆,戊寅冬記,庚辰随筆,凝寂堂筆記(凝寂堂雑記),我聞如是,聞人尋書,落葉回掃,事言籍記(事言籍),壬午初筆,壬午二筆,宝永始毫,梅雨窓筆,輻湊故事,問津漫書,問津閑筆,備忘雑著,蛮芥随筆,蛮芥随筆附録,考槃静記,時雨閑筆,聞見雑記,孤燈掲尽,秉燭独断,剪燈漫志 [続近.6] 史資料・解説 寛文(1661-1673) 延宝(1673-1681) 天和(1681-1684) 貞享(1684-1688) 元禄(1688-1704) 宝永(1704-1711) 正徳(1711-1716) 享保(1716-1736)

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