北村 季吟

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル北村 季吟
+ヨミガナ / NAME / 性別キタムラ キギン / KITAMURA KIGIN / 男
+小見出し京都新玉津島神社司、幕府歌学方、法印
+別名
+別称〔称〕久助 【国1】
〔名〕静厚・信証 【和】
〔号〕七松子・拾穂軒 【国1】湖月斎(一説に湖月亭)・呂庵(一説に蘆庵) 【国続】向南亭・北叟翁・再昌院 【和】
+生年月日寛永元年<1624>12月11日 【国1】
+没年月日宝永2年<1705>6月15日 【国1】
+享年82歳 【国1】
+生国・住国
+生国・住国(現在地名)
+生国山城粟田口 【国1】
+生国(現在地名)
+住国近江野洲郡北村・京・江戸 【国1】
+住国(現在地名)
+墓地名下谷池之端茅町正慶寺 【国1】
+墓地現在地
+学統飛鳥井雅章,清水谷實業,安原貞室,松永貞徳
+典拠国伝1,国伝続,和学者総覧.3598
+解説目次
+解説
+特記事項
+参考文献
+史資料学統〔編者補〕
(和歌)飛鳥井雅章・清水谷實業(俳諧)安原貞室・松永貞徳―季吟―久田捨子・北村正立・山岡元隣・櫻井元茂・谷口元淡・北村季任・北村湖春―北村湖元

〔疏儀荘の記〕
六とせ七とせのさきのしはす、法印に叙して、再昌院となる。林大学頭其故記をかき、詩作りて、給へりしを、額のやうにして軒にかけて、即家の名とせり。院内に書棚をまうけて、棚の上には、古今集桑原三位、管長長義卿筆、二條家貞応本をかけるに、門人三井氏、東野州の自筆の本を、所持せしをかりて、再三校合取捨せり。源氏物語は、東光院殿(植通公)の述作、孟津抄(貞徳源氏抄承此説)桐壺の巻を書給ひ、安芸の国、一の宮殿神院に奉納し給ひしよし、奥書有て、三藐院殿(信基公外題同)西三條実枝公、飛鳥井雅敦雅庸など、助書し給ひし本、いともかしこき御めぐみのたまものぞかし。蒔絵のさまなど、まことのおほやけの物と見えて、凡ならず、俗を放れたり。をりふし五月雨晴れて、文どもの虫はらひなどする中に、覆醤集石山寺にあそべる口号を見て、<半日幽閑入學廬。窓前數帙拂衣魚。紫藤言葉國朝寳。那箇人稱浮艶書。一條禅閣の花鳥余情にも、我国の至宝は、源氏物語にすぎたるはなかるべしと、称美し給へるさうしをや。伊勢物語、百人一首、詠歌大概は、飛鳥井一位より、其抄をうつし取れり。之なん後水尾院御説の聞書なり。万葉集八代集より、新勅撰、続勅撰まで、自筆に抄出せり。是等をもちて、家をたて、一流を立て、わが子孫の此道にこゝろざゝんもの学び習ひなば、いかで亀の裘のはかなき名を残すものならん。其外文撰、文集、管家の御点なと、之もやまと歌のたよりとせんに、傍らさけず、したがひもちて、今はこれらの文を、ねられぬ夜半の我友ならし」云々。元禄十二年正月二十九日、老ぼうし八十の年満の御ことぶきとて、思ふこと、ならで千とせも、かさぬべし、はなみるほどの、こゝろなりせば。>題は見花延年といふを、源少将出給へり。狩野深雪が琴基書箋の絵書ける御屏風、御時服八色の雲かさなれるが如し。八重の潮路にうかべる宝の船、五色の糸をつらね緑の松竹、千世万代のかげふかく、上つ枝には、丁令威が潮翅をかいつくろひ、下つ岩根には、黄安が亀、波に手うちまひ出て、目もあやなる作りものなど、此外にもさまゞのたまものあるが中に、尊応法親王、公助代僧正、両筆にて、定家卿の御自筆の新勅撰を写し給へるに、冷泉為敦卿證本たるべきよし、奥書し給ひける本を、白がねの梅のすぐり枝の文鎮具して給へりしぞ、代々我家の宝とすべき。もし身をかへて、久方のあめの楽みをほこらん時は知らず、此世ながらの身の幸に、またあるべくもなんあらずかし。同じき二月二十六日、湖元、季任、向南亭にて、年満の志をいたす。祝ひごとにそへて、源少将同じ題にて、<月ごしの、めぐみ変はらず、八千代見る、花のあるじや、きみにとはれん。/自らの歌/八十へし、我とひとしく、花みつゝ、たれも千とせの、春にあはなん>此ごろの盛のさくら、鯛、きば、いもちなどやうのさかな、くだもの添□て、けふも時服や何くれと、ゆたかなる袖にもあまるべし。ましてせばき家のうちには、置き所□きまでなん。伊勢のかうふせのかうなどまで、大和歌とりゞに給ふ。此外、名高き博士どもの、からうたなどあれど、さのみは書くべくもあらず。まことに生ける世のさかえ、かしらの雪もとけ、ひたひの浪もほとゝなぎつべくなんありける。云々。こゝに八十あまり、二たそせの春。老耄の身も静かにやすんじ、時ありては、をさなきむまご、あしよわきめこ、など、しばらくやすめたのめん料には、江城のかたつほとり、関口といふ所に、少々やかなるやどころをまうけて、疏儀荘となづく。
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類古学, 国書, 和歌, 国史, 本居, 大事典, 名家
+和学者カード
-40389 国学関連人物データベース 36 1 CKP000049 北村 季吟 KITAMURA KIGIN 北村季吟 KITAMURA KIGIN , 3598 小伝 国伝 全 35980 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 京都新玉津島神社司、幕府歌学方、法印 男 キタムラ キギン / KITAMURA KIGIN / 男 きたむら きぎん,久助,静厚,信証,呂庵,拾穂軒,湖月斎,七松子,蘆庵,湖月亭,向南亭,北叟翁,再昌院法印 キタムラ キギン 〔称〕久助 【国1】 〔名〕静厚・信証 【和】 〔号〕七松子・拾穂軒 【国1】・湖月斎(一説に湖月亭)・呂庵(一説に蘆庵) 【国続】向南亭・北叟翁・再昌院 【和】 〔称〕久助 【国1】
〔名〕静厚・信証 【和】
〔号〕七松子・拾穂軒 【国1】湖月斎(一説に湖月亭)・呂庵(一説に蘆庵) 【国続】向南亭・北叟翁・再昌院 【和】 12月 11日 寛永元年<1624>12月11日 【国1】 6月15日 宝永2年<1705>6月15日 【国1】 82歳 【国1】 1624 - 1705 山城粟田口 【国1】 近江野洲郡北村・京・江戸 【国1】 下谷池之端茅町正慶寺 【国1】 飛鳥井雅章,清水谷實業,安原貞室,松永貞徳 飛鳥井雅章・清水谷実業・安原貞室・松永貞徳 【国1】 国伝1,国伝続,和学者総覧.3598 学統〔編者補〕
(和歌)飛鳥井雅章・清水谷實業(俳諧)安原貞室・松永貞徳―季吟―久田捨子・北村正立・山岡元隣・櫻井元茂・谷口元淡・北村季任・北村湖春―北村湖元

〔疏儀荘の記〕
六とせ七とせのさきのしはす、法印に叙して、再昌院となる。林大学頭其故記をかき、詩作りて、給へりしを、額のやうにして軒にかけて、即家の名とせり。院内に書棚をまうけて、棚の上には、古今集桑原三位、管長長義卿筆、二條家貞応本をかけるに、門人三井氏、東野州の自筆の本を、所持せしをかりて、再三校合取捨せり。源氏物語は、東光院殿(植通公)の述作、孟津抄(貞徳源氏抄承此説)桐壺の巻を書給ひ、安芸の国、一の宮殿神院に奉納し給ひしよし、奥書有て、三藐院殿(信基公外題同)西三條実枝公、飛鳥井雅敦雅庸など、助書し給ひし本、いともかしこき御めぐみのたまものぞかし。蒔絵のさまなど、まことのおほやけの物と見えて、凡ならず、俗を放れたり。をりふし五月雨晴れて、文どもの虫はらひなどする中に、覆醤集石山寺にあそべる口号を見て、<半日幽閑入學廬。窓前數帙拂衣魚。紫藤言葉國朝寳。那箇人稱浮艶書。一條禅閣の花鳥余情にも、我国の至宝は、源氏物語にすぎたるはなかるべしと、称美し給へるさうしをや。伊勢物語、百人一首、詠歌大概は、飛鳥井一位より、其抄をうつし取れり。之なん後水尾院御説の聞書なり。万葉集八代集より、新勅撰、続勅撰まで、自筆に抄出せり。是等をもちて、家をたて、一流を立て、わが子孫の此道にこゝろざゝんもの学び習ひなば、いかで亀の裘のはかなき名を残すものならん。其外文撰、文集、管家の御点なと、之もやまと歌のたよりとせんに、傍らさけず、したがひもちて、今はこれらの文を、ねられぬ夜半の我友ならし」云々。元禄十二年正月二十九日、老ぼうし八十の年満の御ことぶきとて、思ふこと、ならで千とせも、かさぬべし、はなみるほどの、こゝろなりせば。>題は見花延年といふを、源少将出給へり。狩野深雪が琴基書箋の絵書ける御屏風、御時服八色の雲かさなれるが如し。八重の潮路にうかべる宝の船、五色の糸をつらね緑の松竹、千世万代のかげふかく、上つ枝には、丁令威が潮翅をかいつくろひ、下つ岩根には、黄安が亀、波に手うちまひ出て、目もあやなる作りものなど、此外にもさまゞのたまものあるが中に、尊応法親王、公助代僧正、両筆にて、定家卿の御自筆の新勅撰を写し給へるに、冷泉為敦卿證本たるべきよし、奥書し給ひける本を、白がねの梅のすぐり枝の文鎮具して給へりしぞ、代々我家の宝とすべき。もし身をかへて、久方のあめの楽みをほこらん時は知らず、此世ながらの身の幸に、またあるべくもなんあらずかし。同じき二月二十六日、湖元、季任、向南亭にて、年満の志をいたす。祝ひごとにそへて、源少将同じ題にて、<月ごしの、めぐみ変はらず、八千代見る、花のあるじや、きみにとはれん。/自らの歌/八十へし、我とひとしく、花みつゝ、たれも千とせの、春にあはなん>此ごろの盛のさくら、鯛、きば、いもちなどやうのさかな、くだもの添□て、けふも時服や何くれと、ゆたかなる袖にもあまるべし。ましてせばき家のうちには、置き所□きまでなん。伊勢のかうふせのかうなどまで、大和歌とりゞに給ふ。此外、名高き博士どもの、からうたなどあれど、さのみは書くべくもあらず。まことに生ける世のさかえ、かしらの雪もとけ、ひたひの浪もほとゝなぎつべくなんありける。云々。こゝに八十あまり、二たそせの春。老耄の身も静かにやすんじ、時ありては、をさなきむまご、あしよわきめこ、など、しばらくやすめたのめん料には、江城のかたつほとり、関口といふ所に、少々やかなるやどころをまうけて、疏儀荘となづく。 古学, 国書, 和歌, 国史, 本居, 大事典, 名家 史資料

PageTop