加藤千蔭

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル加藤千蔭
+ヨミガナ / NAME / 性別カトウ チカゲ / KATOU CHIKAGE / 男
+小見出し加藤枝直男、町奉行与力
+別称〔姓〕加藤・橘 【国1】
〔称〕要人・又左衛門 【国1】要 【和】
〔名〕佐芳 【和】
[幼名]常太郎 【国続】
〔字〕常世麻呂・徳与麻呂 【国1】
〔号𦬸園・芳宜園・耳梨山人・逸楽窩・江翁 【国1】仁斎・橘八衢 【和】優婆塞竺愷 【書】
+生年月日享保20年<1735>2月9日 【国続】(一説に、享保20年<1735>3月9日 【書】)
+没年月日文化5年<1808>9月2日 【国1】
+享年74歳 【国1】
+生国・住国江戸 【国1】
+墓地名本所回向院 【国1】
+学統岡本保考(の保孝は保考の誤り:筆者註),滝本松花堂(書),賀茂真淵,建部綾足(画)
+典拠国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.2690
+史資料〔三十六家 上〕
年十四にして、加茂縣居翁の門に入らしむ。ここにして千蔭と名を改め、別名を常世丸といふ。こは橘氏によれるなり。

〔古学 中〕
清原雄風、小沢蘆庵、清水浜臣、荷田御風、三島自寛、荒木田久老、加茂季鷹、加藤宇万枝、本居宣長、楫取魚彦等ト親交アリ。

〔気吹舎筆叢 下〕
万葉集略解を、あかぬものなむめりとて、心とめて見ぬ人もあれども、いと愛たき書なり。さるは契沖阿闍梨、賀茂大人の説を始め、其余もよき考をとりて、程よく書つめ、中にも鈴屋の翁の考いといと多く、やかて半に過るほどなり。其は一事の考には、其出たる最初にのみ、契沖云とか、宣長云とかありて、ふたゝび、其事の出たるをりは、何某云てふ事を除きたれは、千蔭の考への如くなれども、よく心付て見れは、すべて此例にてよき考とても、契沖師、縣居翁の考をおきては、大かた鈴屋翁の考なり。たまたま千蔭、春海の考と見ゆるも、大かたは其考より出たる考なり。よく読て然る事を知るべし。我翁の万葉集を解れたる物は、たゞ玉乃小琴のみありて、最も纔に三まき四まきの考を少かづゝ書おかれたるにて、いと残り多き物なるを、この略解お作るをりは、千蔭と春海が許より、伊勢へひたすら文かよはして問ひ明し、また彼部の中より、わざと翁の許へ、三たび四たび、まゐ登りなどもして問ひ極め、さて作終りて、翁の許におくりて、善悪を訂しをもこひ、さてこの書は、出来つるとなむ。されば我為の万葉集の考は、大かた此書に出たれば、よく読べき物なりけり。ことし此略解を公儀に捧けし時、その賜物を千蔭より、春庭君と大平ぬしの許に分おくりしは、実にしほらしくうべなる事なり。
+辞書類古学,国書,和歌,国史,神人,大事典,名家
-40377 国学関連人物データベース 36 1 CKP000037 加藤千蔭 KATOU CHIKAGE 加藤千蔭 KATOU CHIKAGE , 2690 小伝 国伝 全 35968 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 加藤枝直男、町奉行与力 男 カトウ チカゲ / KATOU CHIKAGE / 男 かとう ちかげ,加藤,橘,又左衛門,要,要人,常太郎,佐芳,常世麻呂,徳与麻呂,■,草冠に朮園,芳宜園,耳梨山人,逸楽窩,江翁4,仁斎,橘八衢,優婆塞竺愷 カトウ チカゲ 〔姓〕加藤・橘 【国1】 〔称〕要人・又左衛門 【国1】要 【和】・又左衛門 【国3】[幼名]常太郎 【国続】 〔名〕佐芳 【和】 〔字〕常世麻呂・徳与麻呂 【国1】 〔号𦬸園・芳宜園・耳梨山人・逸楽窩・江翁 【国1】仁斎・橘八衢 【和】優婆塞竺愷 【書】 〔姓〕加藤・橘 【国1】
〔称〕要人・又左衛門 【国1】要 【和】
〔名〕佐芳 【和】
[幼名]常太郎 【国続】
〔字〕常世麻呂・徳与麻呂 【国1】
〔号𦬸園・芳宜園・耳梨山人・逸楽窩・江翁 【国1】仁斎・橘八衢 【和】優婆塞竺愷 【書】 2月9日,3月9日 享保20年<1735>2月9日 【国続】(一説に、享保20年<1735>3月9日 【書】) 9月2日 文化5年<1808>9月2日 【国1】 74歳 【国1】 1735 - 1808 武蔵国 武蔵江戸 東京都 江戸 【国1】 江戸 【国1】 本所回向院 【国1】 岡本保考(の保孝は保考の誤り:筆者註),滝本松花堂(書),賀茂真淵,建部綾足(画) 岡本保孝・滝本松花堂・賀茂真淵・建部綾足 【国1】 国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.2690 〔三十六家 上〕
年十四にして、加茂縣居翁の門に入らしむ。ここにして千蔭と名を改め、別名を常世丸といふ。こは橘氏によれるなり。

〔古学 中〕
清原雄風、小沢蘆庵、清水浜臣、荷田御風、三島自寛、荒木田久老、加茂季鷹、加藤宇万枝、本居宣長、楫取魚彦等ト親交アリ。

〔気吹舎筆叢 下〕
万葉集略解を、あかぬものなむめりとて、心とめて見ぬ人もあれども、いと愛たき書なり。さるは契沖阿闍梨、賀茂大人の説を始め、其余もよき考をとりて、程よく書つめ、中にも鈴屋の翁の考いといと多く、やかて半に過るほどなり。其は一事の考には、其出たる最初にのみ、契沖云とか、宣長云とかありて、ふたゝび、其事の出たるをりは、何某云てふ事を除きたれは、千蔭の考への如くなれども、よく心付て見れは、すべて此例にてよき考とても、契沖師、縣居翁の考をおきては、大かた鈴屋翁の考なり。たまたま千蔭、春海の考と見ゆるも、大かたは其考より出たる考なり。よく読て然る事を知るべし。我翁の万葉集を解れたる物は、たゞ玉乃小琴のみありて、最も纔に三まき四まきの考を少かづゝ書おかれたるにて、いと残り多き物なるを、この略解お作るをりは、千蔭と春海が許より、伊勢へひたすら文かよはして問ひ明し、また彼部の中より、わざと翁の許へ、三たび四たび、まゐ登りなどもして問ひ極め、さて作終りて、翁の許におくりて、善悪を訂しをもこひ、さてこの書は、出来つるとなむ。されば我為の万葉集の考は、大かた此書に出たれば、よく読べき物なりけり。ことし此略解を公儀に捧けし時、その賜物を千蔭より、春庭君と大平ぬしの許に分おくりしは、実にしほらしくうべなる事なり。 古学,国書,和歌,国史,神人,大事典,名家 史資料 享保(1716-1736) 元文(1736-1741) 寛保(1741-1744) 延享(1744-1748) 寛延(1748-1751) 宝暦(1751-1764) 明和(1764-1772) 安永(1772-1781) 天明(1781-1789) 寛政(1789-1801) 享和(1801-1804) 文化(1804-1818)
資料ID40377

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