岸本由豆流
分野分類 CB | 宗教学・神道学 |
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文化財分類 CB | 学術データベース |
資料形式 CB | テキストデータベース |
大分類 | 国学関連人物データベース |
タイトル | 岸本由豆流 |
+ヨミガナ / NAME / 性別 | キシモト ユズル / KISHIMOTO YUZURU / 男 |
+小見出し | 幕府弓弦師 |
+別称 | 〔姓〕朝田 【国2】 〔称〕大隈・権之進 【国2】讃岐 【和】 〔名〕弓弦 【和】 〔号〕𣑊園(ヤマブキ) 【国2】 ,棣堂・尚古考証園・露園・棣棠書塾 【和】 [法号]游林院弦誉覚於𣑊園居士 【国2】 |
+生年月日 | 寛政元年<1789> 【国2】(一説に、天明8年<1788> 【書】) |
+没年月日 | 弘化3年<1846>閏5月17日 【国2】 |
+享年 | 58歳 【国2】(一説に、59歳 【書】) |
+生国 | 伊勢国飯南郡朝田村 【国2】 |
+生国(現在地名) | 三重県 |
+住国 | 江戸白銀町・向島白髪祠下・浅草聖天町 【国2】 |
+住国(現在地名) | 東京都 |
+墓地名 | 浅草誓願寺塔中林相院 【国2】 |
+学統 | 村田春海,清原雄風 |
+典拠 | 国伝2,国書人名辞典,和学者総覧.3551 |
+史資料 | 〔古学 中〕朝田弦(ユヅル)は平氏にして、号を𣑊園 又棣棠に作る といへり。 尚古考証園、又露園とも、 伊勢の人なり。 伊勢国飯南郡朝田村朝田某が子なり、 よしありて幕府の弓弦師岸本讃岐の家をつぎ、岸本大隈と称しき。もとより、書よむことを好みければ、村田春海の門に入り、はやう家の業を長子某にゆづり、白銀町の居宅を去り、白鬚の祠の下に退隠す。又己が生れし家の苗字の、朝田をも立んとて、次男弓槻に伝へて、頭おろされ、居を聖天町に移し、後はふつに世の中のことを思ひたち、著述のみに力を送りけり。友どちには、棭斎、迷庵、了阿、静廬など、断金の交りをなしぬ。中にも棭斎は、姻婭のよしみありければ、殊にうるはしく、かたみに古器を鬭はし、奇書をくらべなどして、興じたりき。その儲へたる書、三万巻に及べるとぞ。𣑊園儲蔵志十巻あるにても、五車の富おもひやるべし。 〔擁書漫筆 二〕 そのあらはせる書、数十部におよびしことは、書肆漫笈堂が、近代名家著述目録六の巻に、書つらねしにてしらる、齢はわづかに、みそぢにもたらずして、さまで著述に富めるは、いにしへにも今にも、またためしなくや。その父の永庸(エイヨウ)からやまとにわたりて、あまたの書を蔵(アツメ)たりしに、加ふるに由豆流が学を好をもて、すでに文庫の書数、三万巻にぞあまりたる。歌ぐちとくよめるが中に、 初花 花ごとに、心をつくす、初めとて、まづ一重さく、山桜かな。 雲雀 くみすてし、野中の水に、かげ見えて、あがるはおつる、夕ひばりかな。 十五夜月 月かげの、みちにみちても、見ゆるかな、あくことしらぬ、身のならひにも。 峰紅葉 高しとて、尋ねざりせば、此一木、われもえこそは、みねの紅葉。 寄レ莚恋 うちとけて、ぬる夜まれなる、たが莚、いたづらぶしは、しげきものから。 |
+辞書類 | 古学,国書,和歌,国史,神人,大事典,名家 |
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資料ID | 40375 |