藤井高尚

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル藤井高尚
+ヨミガナ / NAME / 性別フジイ タカナオ / FUJII TAKANAO / 男
+小見出し藤井高久男、吉備津宮宮司
+別名
+別称〔姓〕大中臣 【国2】
〔称〕忠之丞・小膳・長門守 【国2】
〔号〕松の屋・松斎・竹庵・鶏頭樹園 【和】
〔諡〕三寸鏡霊神 【国2】
+生年月日明和元年<1764> 【書】
+没年月日天保11年<1840>8月15日 【国2】
+享年77歳 【国2】
+生国・住国備中国賀陽郡宮内字三日市 【国2】
+生国・住国(現在地名)岡山県
+生国
+生国(現在地名)
+住国
+住国(現在地名)
+墓地名賀陽郡板倉字向山 【国2】
+墓地現在地
+学統栂井一室・小寺清先・本居宣長 【和】
+典拠国伝2,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.8854
+解説目次
+解説
+特記事項
+参考文献1.履歴, 2.学問の経緯・門人, 3.文章・和歌, 4.古典研究, 5.神道論
+史資料{目醒47}初国学を同国笠岡の人、小寺清先に受け、後本居宣長を師とす。
松屋文後集上の巻、神部職任の奥書に、「小寺清之をぢは、おのれまだいとわかくて、その父君の許に物学すとて、行き通ひつるをりしる人。」
清之の父は清先なり○宣長の弟子なる事は、証を引くまでもなし。
一、学国も分で申候へば、四しな也(分註に「全体はみなかねずば、和学者とはいふべからず」)
○歌学、万葉より、二十一代集、近く草庵集よりのちは、詞つづき、てにはにむり有之、みだり也。此事、野生委く考ありて、本居翁にかたり候所、同意也。御面談に可申上候。
○文章、上古の祝詞、宣命の類が文章の根本也。さて今かくには、諸家の物語、歌集の序など也。これをよく講習して、自らも文章を書べし。此事も野生委く考あり。つれづれ草より、はやみだりなり。法則とならず。御面談に可申上候。
文章は、歌よみにても、神道家ににても、すこしはまなぶべきもの也。これをまなばざれば、一くだりかく歌のはしがきに、はやあやまりて、見ぐるしきものなり。神道家も、これをかかざれば、なにをもて事をしるしおくべき。さてかき候と、甚おもしろきものにも御座候。野生は歌より文章を好めり。
○記録学問、これは六国史をはじめ、式、格、律、令の類数部あり。これをくはしくよむ人は、いはゆる有職家なり。土肥典膳などの学問、これに近し。橋本肥後守是なり。橋本方にて、令の会読有之、出席いたし申候。神道家など、かならず記録は可読事也。私もいよいよ記録をよみ可申存念也。これを見ざれば、本朝の事明かならず。
○神道学問、古事記、日本紀是也。別て神代の巻に、心をとどめて見、わが国の道をしる学問也。(分註に「万葉、記録類をもかね見る事也」)此の神道の事、甚まぎらはしく、野生幼年より心掛候て、先最初に、卜部の御家の書ををよみ申候。釈日本紀と云もの、卜部家御先祖の作也。これはあらため成ものに候へ共、説正しく候。さて又、永弘と申人之講釈聞書(分註に「宮内にて神代紀三度よまれ申、三度どもの聞書、老父写しおけり」)有之候て見申所、専ら仏見に類して、道たちがたく被存申候。(分註に「杉村氏などの伝へ、永弘の説なるよし承候。いかが。その後改められ候哉、存不申候。此儀は、人々御物がたり御無用」又頭書に「卜部御家の伝へも、古よりは次第次第にまちがひ候趣、かの釈日本紀と永弘の説あはざるを以って知べし。永弘は兼敬卿の御門人也。」 又、垂加流と申神道あり。かの卜部御家、後代之誤成、仏見を破して、吉田家古伝と号し、吉川翁より伝えて一流をなせり。笠岡小寺何がし、この伝へ有、私先年より、歌の友にて入魂故、参候て承伝書をうつし見申所、甚理屈面白、神代紀など明らかに分り申候。しかし儒見に近く、わが国上古の風俗、上古の歌などの様子に、一向引合不申候。しかし、理屈をのけてあとは、みな古記録により候ての説故、正しく、卜部御家、後代の伝えよりは、はるかにまされる事多し。されど、その理屈につつしみの事を、土金を以弁じ候など、かの宋儒の居敬窮理に似より候て、いやしき気味合有之候。又、古学神道と云あり。本居翁の説是也。これは賀茂の真淵といふ人、万葉集より日本紀、古事記の歌を以発見し、垂加流の理屈をのけし神道にて、古記録によりて弁論し、しれざる事は、しれぬとし、神代の事を、私の了簡を以、うがちし説をなさず、ありのままに見申、至てやすらか成神道也。この神道に、垂加の正しき処をまじへ、よみ候へば、まずは神道の大成なり。             
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類古学
+和学者カード
-40369 国学関連人物データベース 36 1 CKP000029 藤井高尚 FUJII TAKANAO 藤井高尚 FUJII TAKANAO , 8854 小伝 国伝 全 35960 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 藤井高久男、吉備津宮宮司 男 フジイ タカナオ / FUJII TAKANAO / 男 1.履歴, 2.学問の経緯・門人, 3.文章・和歌, 4.古典研究, 5.神道論 ふじい たかなお, フジイ タカナオ 〔姓〕大中臣 【国2】 〔称〕忠之丞・小膳・長門守 【国2】 〔号〕松屋・松斎・竹庵・鶏頭樹園 【国2】 〔諡〕三寸鏡霊神 【国2】 〔姓〕大中臣 【国2】
〔称〕忠之丞・小膳・長門守 【国2】
〔号〕松の屋・松斎・竹庵・鶏頭樹園 【和】
〔諡〕三寸鏡霊神 【国2】 明和元年<1764> 【書】 天保11年<1840>8月15日 【国2】 77歳 【国2】 1764 - 1840 備中国 備中国賀陽郡宮内字三日市 岡山県 岡山県 備中国賀陽郡宮内字三日市 【国2】 岡山県 備中国賀陽郡宮内字三日市 【国2】 賀陽郡板倉字向山 【国2】 栂井一室・小寺清先・本居宣長 【和】 栂井一室・小寺清先・本居宣長 【和】 国伝2,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.8854 {目醒47}初国学を同国笠岡の人、小寺清先に受け、後本居宣長を師とす。
松屋文後集上の巻、神部職任の奥書に、「小寺清之をぢは、おのれまだいとわかくて、その父君の許に物学すとて、行き通ひつるをりしる人。」
清之の父は清先なり○宣長の弟子なる事は、証を引くまでもなし。
一、学国も分で申候へば、四しな也(分註に「全体はみなかねずば、和学者とはいふべからず」)
○歌学、万葉より、二十一代集、近く草庵集よりのちは、詞つづき、てにはにむり有之、みだり也。此事、野生委く考ありて、本居翁にかたり候所、同意也。御面談に可申上候。
○文章、上古の祝詞、宣命の類が文章の根本也。さて今かくには、諸家の物語、歌集の序など也。これをよく講習して、自らも文章を書べし。此事も野生委く考あり。つれづれ草より、はやみだりなり。法則とならず。御面談に可申上候。
文章は、歌よみにても、神道家ににても、すこしはまなぶべきもの也。これをまなばざれば、一くだりかく歌のはしがきに、はやあやまりて、見ぐるしきものなり。神道家も、これをかかざれば、なにをもて事をしるしおくべき。さてかき候と、甚おもしろきものにも御座候。野生は歌より文章を好めり。
○記録学問、これは六国史をはじめ、式、格、律、令の類数部あり。これをくはしくよむ人は、いはゆる有職家なり。土肥典膳などの学問、これに近し。橋本肥後守是なり。橋本方にて、令の会読有之、出席いたし申候。神道家など、かならず記録は可読事也。私もいよいよ記録をよみ可申存念也。これを見ざれば、本朝の事明かならず。
○神道学問、古事記、日本紀是也。別て神代の巻に、心をとどめて見、わが国の道をしる学問也。(分註に「万葉、記録類をもかね見る事也」)此の神道の事、甚まぎらはしく、野生幼年より心掛候て、先最初に、卜部の御家の書ををよみ申候。釈日本紀と云もの、卜部家御先祖の作也。これはあらため成ものに候へ共、説正しく候。さて又、永弘と申人之講釈聞書(分註に「宮内にて神代紀三度よまれ申、三度どもの聞書、老父写しおけり」)有之候て見申所、専ら仏見に類して、道たちがたく被存申候。(分註に「杉村氏などの伝へ、永弘の説なるよし承候。いかが。その後改められ候哉、存不申候。此儀は、人々御物がたり御無用」又頭書に「卜部御家の伝へも、古よりは次第次第にまちがひ候趣、かの釈日本紀と永弘の説あはざるを以って知べし。永弘は兼敬卿の御門人也。」 又、垂加流と申神道あり。かの卜部御家、後代之誤成、仏見を破して、吉田家古伝と号し、吉川翁より伝えて一流をなせり。笠岡小寺何がし、この伝へ有、私先年より、歌の友にて入魂故、参候て承伝書をうつし見申所、甚理屈面白、神代紀など明らかに分り申候。しかし儒見に近く、わが国上古の風俗、上古の歌などの様子に、一向引合不申候。しかし、理屈をのけてあとは、みな古記録により候ての説故、正しく、卜部御家、後代の伝えよりは、はるかにまされる事多し。されど、その理屈につつしみの事を、土金を以弁じ候など、かの宋儒の居敬窮理に似より候て、いやしき気味合有之候。又、古学神道と云あり。本居翁の説是也。これは賀茂の真淵といふ人、万葉集より日本紀、古事記の歌を以発見し、垂加流の理屈をのけし神道にて、古記録によりて弁論し、しれざる事は、しれぬとし、神代の事を、私の了簡を以、うがちし説をなさず、ありのままに見申、至てやすらか成神道也。この神道に、垂加の正しき処をまじへ、よみ候へば、まずは神道の大成なり。              古学 〔目醒 三八〕松の落葉,松屋文集,松屋文後集,三のしるべ,おくれし雁,出雲路日記,さき草,消息文例,神の御蔭の日記,日本紀の御局の考,大祓詞後々釈,伊勢物語新釈,ひきもののさだめ,浅瀬のしるべ, 史資料 明和(1764-1772) 安永(1772-1781) 天明(1781-1789) 寛政(1789-1801) 享和(1801-1804) 文化(1804-1818) 文政(1818-1830) 天保(1830-1844)

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