本居春庭

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル本居春庭
+ヨミガナ / NAME / 性別モトオリ ハルニワ / MOTOORI HARUNIWA / 男
+小見出し本居宣長長子
+別名
+別称〔称〕健蔵・健亭 【和】
〔号〕後鈴屋 【和】鐸屋 【書】
[法号]明章院通言道永居士 【国2】
〔諡〕後鈴屋芳流爾波翁 【国2】
+生年月日宝暦13年<1763>2月3日 【国2】
+没年月日文政11年<1828>11月7日 【国2】
+享年66歳 【国2】
+生国・住国伊勢津分部町・伊勢松坂 【国2】
+生国・住国(現在地名)
+生国伊勢津分部町 【国2】
+生国(現在地名)
+住国伊勢松坂 【国2】
+住国(現在地名)
+墓地名松坂樹敬寺 【国2】
+墓地現在地
+学統
+典拠国伝2,国書人名辞典,和学者総覧.10506
+解説目次
+解説■履歴
 本居宣長の長子。13歳から写本を行ない、宣長所蔵の写本の多くを書写した。15歳頃から作歌をはじめ、18歳ごろには嶺松院歌会に入会している。宣長の『古事記伝』の版下書きに尽力するが、29歳頃より眼病となり、寛政6年(1794)頃に失明。上京して鍼術を習得し、帰京して針医を開業する。享和元年(1801)に宣長が没すると、翌年に大平が家督を相続し、春庭は大平方厄介の身となる。

■学問動向
 春庭は、国語学、特に日本語の活用研究に優れており、『詞の八衢』『詞の通路』などの著書がある。大平が和歌山に移住してから後は、鈴屋を組織して宣長の学問の継承を行なった。また、宣長の遺志をついで、著書の刊行をとりしきった。
+特記事項■『詞の八衢』
 『詞の八衢』は、とりわけ学界に大きな影響を与えた。動詞・助動詞・形容詞の活用が規則的であることを論証した研究が18世紀後半に見出されるようになる。そのような国語学の趨勢に於いて、動詞の活用を体系化づけた『詞の八衢』が文化3年(1806)に脱稿されたことは、国語学史上画期的な業績であった。即ち、それまで誰も気付かなかった動詞の活用を、四段活用、一段活用、中段活用、下二段活用の四種に定めたのであり、豊富な「例証」を示したことも、当該著述の特徴であろう。春庭の定めた法則は、現在の文法にもおおよそ継承され使用されているのである。『詞の八衢』(2冊)は、文化5年(1808)に出版され、学界に大きな反響が起こった。文化5年以降も、文政元年(1818)、弘化3年(1846)、安政3年(1856)、慶応2年(1866)など何度も版を重ねた。その間、僧義門の『詞の八衢疑問』『詞の道しるべ』、中島広足の『詞八衢補遺』、富樫広蔭の『詞八衢踏分』、足代弘訓の『詞八衢補翼』、黒川春村の『詞八衢附考』、岡本保孝の『詞八衢補正』、堀秀成の『詞八衢補正』などの多くの末書が物された。こうした八衢学派と呼ばれる一派が形成され、その学派に於いて春庭の学説は批判・補正され、そうした過程を通じて、春庭の卓見はより精錬されたものとなり、今日の国語学へと継承されるようになった。

■『詞の通路』
 春庭の学問を代表するもう一つの著述は、『詞の通路』(3冊)である。文化11年(1814)着手されたと推測され、春庭最晩年の文政11年(1828)に脱稿した。当該著述の核心を為すものは、「詞の自他の事」(上巻)であり、即ち、自動詞と他動詞とについての研究である。その所説は動詞の自他についての、最初の本格的な分析であり、『詞の八衢』と同じく、国語学史上画期的な業績である。換言すれば、『言葉の通路』は、「八衢」で明らかにした動詞の4種の活用系を実際の文中にしたがって、その在り様を示したものである。
+参考文献
+史資料学統
〔三十六家 下〕
翁、幼きより、父の志を継ぎて、古学を研究し、殊に詠歌に精力を蓋し、終に勘能にいたる。其詠歌に於ては、父翁にも増れりと、世に賞しぬ。ことに詞の道を明らめ、父翁の業を助く。其学大に世に昌んにして、従ひ学ぶもの頗多し。

著書

〔慶著 和〕詞の通路 三  詞の八街 二  門の落葉 四  後鈴廼舎集  
〔編者補〕道の佐喜艸
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類国書,神大,和歌,国史,神人,神事,神史,本居,大事典,名家
+和学者カード
-40360 国学関連人物データベース 36 1 CKP000020 本居春庭 MOTOORI HARUNIWA  本居宣長の長子。13歳から写本を行ない、宣長所蔵の写本の多くを書写した。15歳頃から作歌をはじめ、18歳ごろには嶺松院歌会に入会している。宣長の『古事記伝』の版下書きに尽力するが、29歳頃より眼病となり、寛政6年(1794)頃に失明。上京して鍼術を習得し、帰京して針医を開業する。享和元年(1801)に宣長が没すると、翌年に大平が家督を相続し、春庭は大平方厄介の身となる。

■学問動向
 春庭は、国語学、特に日本語の活用研究に優れており、『詞の八衢』『詞の通路』などの著書がある。大平が和歌山に移住してから後は、鈴屋を組織して宣長の学問の継承を行なった。また、宣長の遺志をついで、著書の刊行をとりしきった。

■『詞の八衢』
 『詞の八衢』は、とりわけ学界に大きな影響を与えた。動詞・助動詞・形容詞の活用が規則的であることを論証した研究が18世紀後半に見出されるようになる。そのような国語学の趨勢に於いて、動詞の活用を体系化づけた『詞の八衢』が文化3年(1806)に脱稿されたことは、国語学史上画期的な業績であった。即ち、それまで誰も気付かなかった動詞の活用を、四段活用、一段活用、中段活用、下二段活用の四種に定めたのであり、豊富な「例証」を示したことも、当該著述の特徴であろう。春庭の定めた法則は、現在の文法にもおおよそ継承され使用されているのである。『詞の八衢』(2冊)は、文化5年(1808)に出版され、学界に大きな反響が起こった。文化5年以降も、文政元年(1818)、弘化3年(1846)、安政3年(1856)、慶応2年(1866)など何度も版を重ねた。その間、僧義門の『詞の八衢疑問』『詞の道しるべ』、中島広足の『詞八衢補遺』、富樫広蔭の『詞八衢踏分』、足代弘訓の『詞八衢補翼』、黒川春村の『詞八衢附考』、岡本保孝の『詞八衢補正』、堀秀成の『詞八衢補正』などの多くの末書が物された。こうした八衢学派と呼ばれる一派が形成され、その学派に於いて春庭の学説は批判・補正され、そうした過程を通じて、春庭の卓見はより精錬されたものとなり、今日の国語学へと継承されるようになった。

■『詞の通路』
 春庭の学問を代表するもう一つの著述は、『詞の通路』(3冊)である。文化11年(1814)着手されたと推測され、春庭最晩年の文政11年(1828)に脱稿した。当該著述の核心を為すものは、「詞の自他の事」(上巻)であり、即ち、自動詞と他動詞とについての研究である。その所説は動詞の自他についての、最初の本格的な分析であり、『詞の八衢』と同じく、国語学史上画期的な業績である。換言すれば、『言葉の通路』は、「八衢」で明らかにした動詞の4種の活用系を実際の文中にしたがって、その在り様を示したものである。 本居春庭 MOTOORI HARUNIWA , 10506 小伝 国伝 全 35951 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 本居宣長長子 男 モトオリ ハルニワ / MOTOORI HARUNIWA / 男 ■履歴
 本居宣長の長子。13歳から写本を行ない、宣長所蔵の写本の多くを書写した。15歳頃から作歌をはじめ、18歳ごろには嶺松院歌会に入会している。宣長の『古事記伝』の版下書きに尽力するが、29歳頃より眼病となり、寛政6年(1794)頃に失明。上京して鍼術を習得し、帰京して針医を開業する。享和元年(1801)に宣長が没すると、翌年に大平が家督を相続し、春庭は大平方厄介の身となる。

■学問動向
 春庭は、国語学、特に日本語の活用研究に優れており、『詞の八衢』『詞の通路』などの著書がある。大平が和歌山に移住してから後は、鈴屋を組織して宣長の学問の継承を行なった。また、宣長の遺志をついで、著書の刊行をとりしきった。 ■『詞の八衢』
 『詞の八衢』は、とりわけ学界に大きな影響を与えた。動詞・助動詞・形容詞の活用が規則的であることを論証した研究が18世紀後半に見出されるようになる。そのような国語学の趨勢に於いて、動詞の活用を体系化づけた『詞の八衢』が文化3年(1806)に脱稿されたことは、国語学史上画期的な業績であった。即ち、それまで誰も気付かなかった動詞の活用を、四段活用、一段活用、中段活用、下二段活用の四種に定めたのであり、豊富な「例証」を示したことも、当該著述の特徴であろう。春庭の定めた法則は、現在の文法にもおおよそ継承され使用されているのである。『詞の八衢』(2冊)は、文化5年(1808)に出版され、学界に大きな反響が起こった。文化5年以降も、文政元年(1818)、弘化3年(1846)、安政3年(1856)、慶応2年(1866)など何度も版を重ねた。その間、僧義門の『詞の八衢疑問』『詞の道しるべ』、中島広足の『詞八衢補遺』、富樫広蔭の『詞八衢踏分』、足代弘訓の『詞八衢補翼』、黒川春村の『詞八衢附考』、岡本保孝の『詞八衢補正』、堀秀成の『詞八衢補正』などの多くの末書が物された。こうした八衢学派と呼ばれる一派が形成され、その学派に於いて春庭の学説は批判・補正され、そうした過程を通じて、春庭の卓見はより精錬されたものとなり、今日の国語学へと継承されるようになった。

■『詞の通路』
 春庭の学問を代表するもう一つの著述は、『詞の通路』(3冊)である。文化11年(1814)着手されたと推測され、春庭最晩年の文政11年(1828)に脱稿した。当該著述の核心を為すものは、「詞の自他の事」(上巻)であり、即ち、自動詞と他動詞とについての研究である。その所説は動詞の自他についての、最初の本格的な分析であり、『詞の八衢』と同じく、国語学史上画期的な業績である。換言すれば、『言葉の通路』は、「八衢」で明らかにした動詞の4種の活用系を実際の文中にしたがって、その在り様を示したものである。 もとおり はるにわ,健蔵,健亭,後鈴屋,後鈴屋芳流爾波翁,明章院通言道永居士 モトオリ ハルニワ 〔称〕健蔵・健亭 【国2】 〔号〕後鈴屋 【国2】 〔諡〕後鈴屋芳流爾波翁,[法号]明章院通言道永居士 【国2】 〔称〕健蔵・健亭 【和】
〔号〕後鈴屋 【和】鐸屋 【書】
[法号]明章院通言道永居士 【国2】
〔諡〕後鈴屋芳流爾波翁 【国2】 43864 宝暦13年<1763>2月3日 【国2】 11月7日 文政11年<1828>11月7日 【国2】 66歳 【国2】 1763 - 1828 伊勢津分部町・伊勢松坂 【国2】 伊勢津分部町 【国2】 伊勢松坂 【国2】 松坂樹敬寺 【国2】 国伝2,国書人名辞典,和学者総覧.10506 学統
〔三十六家 下〕
翁、幼きより、父の志を継ぎて、古学を研究し、殊に詠歌に精力を蓋し、終に勘能にいたる。其詠歌に於ては、父翁にも増れりと、世に賞しぬ。ことに詞の道を明らめ、父翁の業を助く。其学大に世に昌んにして、従ひ学ぶもの頗多し。

著書

〔慶著 和〕詞の通路 三  詞の八街 二  門の落葉 四  後鈴廼舎集  
〔編者補〕道の佐喜艸 ・保科孝一 「詞八衢の系統」(『國學院雑誌』12-6, 明治39)
・足立巻一 『やちまた』(河出書房新社, 1974)
・島田昌彦 「本居春庭『詞八衢』『詞通路』で目指したもの」(竹岡正夫編『国語学史論叢』, 笠間書院, 1982.9)
・山田勘蔵 『本居春庭』(鈴屋遺跡保存会.1983.7) 国書,神大,和歌,国史,神人,神事,神史,本居,大事典,名家 〔慶著 和〕詞の通路,詞の八衢,門の落葉,後鈴廼舎集,〔編者補〕道の佐喜艸, 史資料・解説 宝暦(1751-1764) 明和(1764-1772) 安永(1772-1781) 天明(1781-1789) 寛政(1789-1801) 享和(1801-1804) 文化(1804-1818) 文政(1818-1830)

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