加藤 美樹

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル加藤 美樹
+ヨミガナ / NAME / 性別カトウ ウマキ / KATOU UMAKI / 男
+小見出し幕臣(大番騎士)
+別名
+別称〔姓〕河津・藤原 【和】
〔称〕伊右衛門・大助・五郎左衛門 【和】
〔名〕宇万伎 【和】美樹 【国1】
〔号〕静の舎 【国1】静舎 【和】
[法号]了厳院義洞勇徹居士 【国1】
+生年月日享保6年<1721> 【国1】
+没年月日安永6年<1777>6月10日 【国1】
+享年57歳 【国1】一説に53歳 【国続】
+生国・住国江戸浅草三筋町・京都 【国1】
+生国・住国(現在地名)東京都
+生国江戸 【和】
+生国(現在地名)
+住国大阪・京都 【和】
+住国(現在地名)
+墓地名京都三條三宝寺 【国1】
+墓地現在地
+学統賀茂真淵
+典拠国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.2664
+解説目次
+解説
+特記事項
+参考文献
+史資料学統〔編者補〕
眞淵―美樹―上田秋成

〔三十六家下〕
賀茂翁の門に入りて、古学を研究し、詠歌また妙所に至る。当時江戸にして、千蔭、春海、美樹、魚彦の四翁を、縣居の四天王と称す。しかして多く、其詠歌の体、異に一風をなせり。千蔭は詞姿はなやかに、艶なるを好み、春海はさびたるさまの、こまかなるを意となし、魚彦はひたすら、古調を好みて、古語を自由にせんことを修す。此翁は、また賀茂翁の晩年の口調の秀抜して、絶て及ぶべからざる風致を志して竟び其妙を得たりと謂ふべし。
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類古学, 国書, 神大, 和歌, 国史, 神人, 大事典, 名家
+和学者カード
-40354 国学関連人物データベース 36 1 CKP000014 加藤 美樹 KATOU UMAKI 加藤美樹 KATOU UMAKI , 2664 小伝 国伝 全 35945 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 幕臣(大番騎士) 男 カトウ ウマキ / KATOU UMAKI / 男 かとう うまき,藤原,河津,伊右衛門,大助,五郎左衛門,美樹,宇万伎,静の舎,静舎,了厳院義洞勇徹居士 カトウ ウマキ 〔姓〕藤原 【国1】河津 【国1】 〔称〕五郎左衛門 【国3】伊右衛門 【和】大助 〔名〕美樹 【国1】宇麻伎 【国1】 〔号〕静の舎・静舎 【国1】 [法号]了厳院義洞勇徹居士 【国1】 〔姓〕河津・藤原 【和】
〔称〕伊右衛門・大助・五郎左衛門 【和】
〔名〕宇万伎 【和】美樹 【国1】
〔号〕静の舎 【国1】静舎 【和】
[法号]了厳院義洞勇徹居士 【国1】 享保6年<1721> 【国1】 6月10日 安永6年<1777>6月10日 【国1】 57歳 【国1】一説に53歳 【国続】 1721 - 1777 江戸浅草三筋町,京都 江戸浅草三筋町・京都 【国1】 東京都 江戸 【和】 大阪・京都 【和】 京都三條三宝寺 【国1】 賀茂真淵 賀茂真淵 【和】 国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.2664 学統〔編者補〕
眞淵―美樹―上田秋成

〔三十六家下〕
賀茂翁の門に入りて、古学を研究し、詠歌また妙所に至る。当時江戸にして、千蔭、春海、美樹、魚彦の四翁を、縣居の四天王と称す。しかして多く、其詠歌の体、異に一風をなせり。千蔭は詞姿はなやかに、艶なるを好み、春海はさびたるさまの、こまかなるを意となし、魚彦はひたすら、古調を好みて、古語を自由にせんことを修す。此翁は、また賀茂翁の晩年の口調の秀抜して、絶て及ぶべからざる風致を志して竟び其妙を得たりと謂ふべし。 古学, 国書, 神大, 和歌, 国史, 神人, 大事典, 名家 史資料 享保(1716-1736) 元文(1736-1741) 寛保(1741-1744) 延享(1744-1748) 寛延(1748-1751) 宝暦(1751-1764) 明和(1764-1772) 安永(1772-1781)

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