荷田御風

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル荷田御風
+ヨミガナ / NAME / 性別カダ ノリカゼ / KADA NORIKAZE / 男
+小見出し荷田在満男、柴崎好紀養子のち離縁
+別名
+別称〔姓〕羽倉・柴崎 【和】
〔称〕長次郎・東蔵・上総介 【国1】長次郎・上総介 【和】
〔名〕冬満 【国1】
〔字〕子玄 【国1】
〔号〕真要斎 【和】
+生年月日享保13年<1728>11月5日 【書】
+没年月日天明4年<1784>8月16日 【国1】
+享年57歳 【国1】
+生国・住国江戸豊後岡候邸内 【国1】・江戸 【和】
+生国・住国(現在地名)東京
+生国
+生国(現在地名)
+住国
+住国(現在地名)
+墓地名浅草高原町七番地金龍寺 【国1】
+墓地現在地
+学統荷田在満
+典拠国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.2795
+解説目次
+解説■履歴
荷田在満の嫡男として生まれる。享保13年(1728)、父在満に随い、東下する※1。延享3年(1746)、田安宗武に仕えていた在満は、賀茂真淵を後任に推挙して職を辞した。御風は、在満の学問を継承するとともに、江戸で羽倉学を集大成する※2。その学名はおおいに広まり、諸侯が在満を召し抱えようとしたが、その一切を辞した※3。のちに豊後岡藩の招聘を受けたものの、禄は一切受けなかったという※4。

■学問動向
父の学風をよく伝え、江戸において律令国史のほか、『万葉集』『源氏物語』などを教授。門人たちを指導した※5。著書として、『西遊紀行』『御風家集』※6が残っている。門人に江戸派の歌人たちと親交の深かった堂上歌人賀茂季鷹がいる。

(注)
※1「羽倉子玄先生之墓」(清水浜臣「泊洦筆話」『日本随筆大成』第一期7、昭和50年、223~224頁)
※2増田芳江「蒼生子と御風と」(『学苑』第9巻第3号)、盛田帝子「江戸和学史への一視点―荷田御風と賀茂季鷹―」(『雅俗』第5号)
※3「羽倉子玄先生之墓」(清水浜臣「泊洦筆話」『日本随筆大成』第一期7、昭和50年、223~224頁)
※4「羽倉子玄先生之墓」(清水浜臣「泊洦筆話」『日本随筆大成』第一期7、昭和50年、223~224頁)
※5「羽倉子玄先生之墓」(清水浜臣「泊洦筆話」『日本随筆大成』第一期7、昭和50年、223~224頁)
※6中根粛治『慶長以来諸家著述目録 和学家之部』(明治27年、『近世文芸研究総書』平成6年)
+特記事項
+参考文献
+史資料〔泊洦筆話〕
先生至性強記。一過目。則修身不忘。家貧不蓄書。受業者常数十百人。或受律令國史。我問萬葉若源語。必奉書以問。随問而解惑。鑿々有明據。據若不明。雖家説不学。学之必辨。以故聞者莫不心□。
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類国書, 大事典, 名家
+和学者カード
-40349 国学関連人物データベース 36 1 CKP000009 荷田御風 KADA NORIKAZE 荷田御風 KADA NORIKAZE , 2795 小伝 国伝 全 35940 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 荷田在満男、柴崎好紀養子のち離縁 男 カダ ノリカゼ / KADA NORIKAZE / 男 ■履歴
荷田在満の嫡男として生まれる。享保13年(1728)、父在満に随い、東下する※1。延享3年(1746)、田安宗武に仕えていた在満は、賀茂真淵を後任に推挙して職を辞した。御風は、在満の学問を継承するとともに、江戸で羽倉学を集大成する※2。その学名はおおいに広まり、諸侯が在満を召し抱えようとしたが、その一切を辞した※3。のちに豊後岡藩の招聘を受けたものの、禄は一切受けなかったという※4。

■学問動向
父の学風をよく伝え、江戸において律令国史のほか、『万葉集』『源氏物語』などを教授。門人たちを指導した※5。著書として、『西遊紀行』『御風家集』※6が残っている。門人に江戸派の歌人たちと親交の深かった堂上歌人賀茂季鷹がいる。

(注)
※1「羽倉子玄先生之墓」(清水浜臣「泊洦筆話」『日本随筆大成』第一期7、昭和50年、223~224頁)
※2増田芳江「蒼生子と御風と」(『学苑』第9巻第3号)、盛田帝子「江戸和学史への一視点―荷田御風と賀茂季鷹―」(『雅俗』第5号)
※3「羽倉子玄先生之墓」(清水浜臣「泊洦筆話」『日本随筆大成』第一期7、昭和50年、223~224頁)
※4「羽倉子玄先生之墓」(清水浜臣「泊洦筆話」『日本随筆大成』第一期7、昭和50年、223~224頁)
※5「羽倉子玄先生之墓」(清水浜臣「泊洦筆話」『日本随筆大成』第一期7、昭和50年、223~224頁)
※6中根粛治『慶長以来諸家著述目録 和学家之部』(明治27年、『近世文芸研究総書』平成6年) かだ のりかぜ,羽倉,柴崎,長次郎,東蔵,上総介,冬満,子玄,真要斎 カダ ノリカゼ 〔姓〕羽倉・柴崎 【和】 〔称〕東蔵 【国1】長次郎・上総介 【和】 〔名〕冬満 【国1】 〔字〕子玄 【国1】 〔号〕真要斎 【和】 〔姓〕羽倉・柴崎 【和】
〔称〕長次郎・東蔵・上総介 【国1】長次郎・上総介 【和】
〔名〕冬満 【国1】
〔字〕子玄 【国1】
〔号〕真要斎 【和】 1月 15,11月 5日 享保13年<1728>11月5日 【書】 8月16日 天明4年<1784>8月16日 【国1】 57歳 【国1】 1728 - 1784 江戸豊後岡候邸内・江戸 江戸豊後岡候邸内 【国1】・江戸 【和】 東京 浅草高原町七番地金龍寺 【国1】 荷田在満 荷田在満 【和】 国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.2795 〔泊洦筆話〕
先生至性強記。一過目。則修身不忘。家貧不蓄書。受業者常数十百人。或受律令國史。我問萬葉若源語。必奉書以問。随問而解惑。鑿々有明據。據若不明。雖家説不学。学之必辨。以故聞者莫不心□。 国書, 大事典, 名家 西遊紀行, 家伝集[続人物 下] 史資料 享保(1716-1736) 元文(1736-1741) 寛保(1741-1744) 延享(1744-1748) 寛延(1748-1751) 宝暦(1751-1764) 明和(1764-1772) 安永(1772-1781) 天明(1781-1789)

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