安藤 為章

分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
大分類国学関連人物データベース
タイトル安藤 為章
+ヨミガナ / NAME / 性別アンドウ タメアキラ / ANDOU TAMEAKIRA / 男
+小見出し安藤定為二男、伏見宮家士、水戸彰考館寄人
+別名
+別称〔称〕右平・新介 【国1】外記 【和】泰庵 【書】
〔名〕為明 【国1】
〔号〕年山 【国1】泰庵 【和】
[法号]万林庵一通義貫居士 【国続】自覚・祖岳 【和】
+生年月日万治2年<1659>5月23日 【国続】
+没年月日享保元年<1716>10月12日 【国続】・享保元年<1716>10月13日 【書】
+享年58歳 【国1】
+生国・住国
+生国・住国(現在地名)丹波
+生国丹波桑田郡千年山下小口村 【国1】 
+生国(現在地名)
+住国京都・常陸水戸 【国1】江戸 【和】
+住国(現在地名)
+墓地名小石川慈照院 【国続】
+墓地現在地
+学統中院通茂・契沖・野宮定基・中院通茂
+典拠国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.558
+解説目次
+解説■履歴
 安藤定為の次子として丹波国桑田郡千年山下小(尾)口村に生まれる。母は「今式部」と称された亀子。はじめ父の縁故によって京都の伏見宮に出仕したが、水戸藩主徳川光圀が『礼儀類典』515巻の編纂のため、貞享3年(1686)兄為実(素軒)が水戸藩に招聘されると、為章も間もなく招かれ仕えた。禄300石を食む。贈正五位。

■学問動向
好学で和歌に秀でた父定為や母亀子、兄為実のもとで育つ。京都に移り、はじめ正恵に学び、和歌を慈光寺冬仲から教えを受けた。元禄13年(1700)2月には、光圀の命により、『釈万葉集』の意見を契沖に求めるため、『釈万葉集』稿本を携えて大坂の契沖に赴き、同年7月までの間、その教えを受けた。元禄15年(1702)からは江戸彰考館の寄人として、『扶桑拾遺集』『礼儀類典』『釈万葉集』などの編集に携わる。彰考館では、ともに編纂事業に携わった大串元謙や森尚謙、青野叔元、中村顧言らと懇意な間柄であった。
+特記事項■中古文学研究
 為章は早くから『源氏物語』に関心を持ち、冬仲や中院通茂らに講釈を受けていたが、「彰考別館」での編纂事業のなかで『紫式部日記』を発見し、元禄16年(1703)には紫式部の伝記ともいえる『紫家七論』(『紫女七論』)を著した。これは『源氏物語』の考証において実証的な態度に基づく研究の先駆的なものとして特筆される。『栄花物語考』は、伴信友が『比古婆衣』巻13のなかで引用し、その考証において為章と同じ立場をとっている。

■その他の著作
この他の著作には、一族の歌文を集録した『千年山集』7巻や随筆『年山紀聞』『年山打聞』、契沖の伝記『契沖阿闍梨行実』などの著作がある。その学風は儒教的素養に水戸風の考証的学問を加え、論理的かつ批判的な立場に拠ったものとして評価されている。
+参考文献
+史資料〔奇人伝 五〕
為章は国学をも好み、詠歌は中院内府通茂公御門人なり。…其兄、内匠為実と共に、儒を学び、父の由縁をもて、ともに伏見の宮に仕ふ。後又、同じく水戸に参りて、彰考館の寄り人にて、日本史、及、礼儀類典の撰にあづかる。兄は七百石、弟は三百石を賜ふ。兄の人がらはよく知らず。源義公、僧契沖に万葉の注を求めたもふに及びて、命をうけ、しばしば浪花に至て、其説をうく。されば契沖の行実を著して、其著者、年山打聞に記せり。今此冊子に取れる所なり。凡此打聞のうちに、著書をもて、その学術も、人となりの温恭も、はかりしらる。…又紫女七論を書して、式部の賢操、才秀を褒め、源氏物語の大意をも委しく論ず。をしむらくは、梓にのぼらざれば、見る人なし。
+史資料〈著作〉
+史資料〈碑文〉
+史資料〈その他〉
+辞書類古学, 国書, 和歌, 国史, 大事典, 名家
+和学者カード
-40344 国学関連人物データベース 36 1 CKP000004 安藤 為章 ANDOU TAMEAKIRA  安藤定為の次子として丹波国桑田郡千年山下小(尾)口村に生まれる。母は「今式部」と称された亀子。はじめ父の縁故によって京都の伏見宮に出仕したが、水戸藩主徳川光圀が『礼儀類典』515巻の編纂のため、貞享3年(1686)兄為実(素軒)が水戸藩に招聘されると、為章も間もなく招かれ仕えた。禄300石を食む。贈正五位。

■学問動向
好学で和歌に秀でた父定為や母亀子、兄為実のもとで育つ。京都に移り、はじめ正恵に学び、和歌を慈光寺冬仲から教えを受けた。元禄13年(1700)2月には、光圀の命により、『釈万葉集』の意見を契沖に求めるため、『釈万葉集』稿本を携えて大坂の契沖に赴き、同年7月までの間、その教えを受けた。元禄15年(1702)からは江戸彰考館の寄人として、『扶桑拾遺集』『礼儀類典』『釈万葉集』などの編集に携わる。彰考館では、ともに編纂事業に携わった大串元謙や森尚謙、青野叔元、中村顧言らと懇意な間柄であった。

■中古文学研究
 為章は早くから『源氏物語』に関心を持ち、冬仲や中院通茂らに講釈を受けていたが、「彰考別館」での編纂事業のなかで『紫式部日記』を発見し、元禄16年(1703)には紫式部の伝記ともいえる『紫家七論』(『紫女七論』)を著した。これは『源氏物語』の考証において実証的な態度に基づく研究の先駆的なものとして特筆される。『栄花物語考』は、伴信友が『比古婆衣』巻13のなかで引用し、その考証において為章と同じ立場をとっている。

■その他の著作
この他の著作には、一族の歌文を集録した『千年山集』7巻や随筆『年山紀聞』『年山打聞』、契沖の伝記『契沖阿闍梨行実』などの著作がある。その学風は儒教的素養に水戸風の考証的学問を加え、論理的かつ批判的な立場に拠ったものとして評価されている。 安藤為章 ANDOU TAMEAKIRA , 558 小伝 国伝 全 35935 2009/05/15 kouju108 2020/10/19 teshina 本登録 0 安藤定為二男、伏見宮家士、水戸彰考館寄人 男 アンドウ タメアキラ / ANDOU TAMEAKIRA / 男 ■履歴
 安藤定為の次子として丹波国桑田郡千年山下小(尾)口村に生まれる。母は「今式部」と称された亀子。はじめ父の縁故によって京都の伏見宮に出仕したが、水戸藩主徳川光圀が『礼儀類典』515巻の編纂のため、貞享3年(1686)兄為実(素軒)が水戸藩に招聘されると、為章も間もなく招かれ仕えた。禄300石を食む。贈正五位。

■学問動向
好学で和歌に秀でた父定為や母亀子、兄為実のもとで育つ。京都に移り、はじめ正恵に学び、和歌を慈光寺冬仲から教えを受けた。元禄13年(1700)2月には、光圀の命により、『釈万葉集』の意見を契沖に求めるため、『釈万葉集』稿本を携えて大坂の契沖に赴き、同年7月までの間、その教えを受けた。元禄15年(1702)からは江戸彰考館の寄人として、『扶桑拾遺集』『礼儀類典』『釈万葉集』などの編集に携わる。彰考館では、ともに編纂事業に携わった大串元謙や森尚謙、青野叔元、中村顧言らと懇意な間柄であった。 ■中古文学研究
 為章は早くから『源氏物語』に関心を持ち、冬仲や中院通茂らに講釈を受けていたが、「彰考別館」での編纂事業のなかで『紫式部日記』を発見し、元禄16年(1703)には紫式部の伝記ともいえる『紫家七論』(『紫女七論』)を著した。これは『源氏物語』の考証において実証的な態度に基づく研究の先駆的なものとして特筆される。『栄花物語考』は、伴信友が『比古婆衣』巻13のなかで引用し、その考証において為章と同じ立場をとっている。

■その他の著作
この他の著作には、一族の歌文を集録した『千年山集』7巻や随筆『年山紀聞』『年山打聞』、契沖の伝記『契沖阿闍梨行実』などの著作がある。その学風は儒教的素養に水戸風の考証的学問を加え、論理的かつ批判的な立場に拠ったものとして評価されている。 あんどう ためあきら,右平,新介,外記,為明,年山,泰庵,は,万林庵一通義貫居士,自覚,祖岳 アンドウ タメアキラ 〔称〕右平・新介 【国1】外記 【和】泰庵 【書】 〔名〕為明 【国1】 〔号〕年山 【国1】泰庵 【和】 [法号]万林庵一通義貫居士 【国続】自覚・祖岳 【和】 〔称〕右平・新介 【国1】外記 【和】泰庵 【書】
〔名〕為明 【国1】
〔号〕年山 【国1】泰庵 【和】
[法号]万林庵一通義貫居士 【国続】自覚・祖岳 【和】 5月 23日 万治2年<1659>5月23日 【国続】 10月12日 享保元年<1716>10月12日 【国続】・享保元年<1716>10月13日 【書】 58歳 【国1】 1659 - 1716 丹波桑田郡千年山下小口村,京都・水戸・江戸 丹波 丹波桑田郡千年山下小口村 【国1】  京都・常陸水戸 【国1】江戸 【和】 小石川慈照院 【国続】 中院通茂・契沖・野宮定基・中院通茂 中院通茂・契沖・野宮定基・中院通茂 【書】 国伝1,国伝続,国書人名辞典,和学者総覧.558 〔奇人伝 五〕
為章は国学をも好み、詠歌は中院内府通茂公御門人なり。…其兄、内匠為実と共に、儒を学び、父の由縁をもて、ともに伏見の宮に仕ふ。後又、同じく水戸に参りて、彰考館の寄り人にて、日本史、及、礼儀類典の撰にあづかる。兄は七百石、弟は三百石を賜ふ。兄の人がらはよく知らず。源義公、僧契沖に万葉の注を求めたもふに及びて、命をうけ、しばしば浪花に至て、其説をうく。されば契沖の行実を著して、其著者、年山打聞に記せり。今此冊子に取れる所なり。凡此打聞のうちに、著書をもて、その学術も、人となりの温恭も、はかりしらる。…又紫女七論を書して、式部の賢操、才秀を褒め、源氏物語の大意をも委しく論ず。をしむらくは、梓にのぼらざれば、見る人なし。 ・渡辺刀水 『安藤素軒と年山』(日本書誌学大系47-2『渡辺刀水集』(2), 青裳堂書店, 1986.10)
・久保田収 「安藤年山の学的系譜」(『国文学』8, 1952)
・折原篤子 「安藤為章と水戸学」(『岡一男博士頌寿記念論集 平安朝文学研究』, 1971)
・原豊二 「文学史の中の『源氏物語』(4) 安藤為章」(『人物で読む源氏物語』2, 2005) 古学, 国書, 和歌, 国史, 大事典, 名家 紫女七論(紫家七論), 栄花物語考, 年山紀聞, 千年山集, 宇津保物語考, 手向艸, [慶著.和]年山打聞, 世継物語私考 [近.6] 契沖行実 [国補] 史資料・解説 万治(1658-1661) 寛文(1661-1673) 延宝(1673-1681) 天和(1681-1684) 貞享(1684-1688) 元禄(1688-1704) 宝永(1704-1711) 正徳(1711-1716) 享保(1716-1736)

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