坂田鉄安(坂田鐵安)

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名坂田鉄安
+読み仮名 / NAME / 性別さかた かねやす / SAKATA Kaneyasu / 男
+別称〔幼名〕慶次郎[禊教]
〔称〕左京
+生年月日文政3年(1820)12月11日[禊教]
+没年月日明治23年(1890)3月18日[禊教]
学統・宗派禊教、小泉寧夫、井上正鉄[禊教]
+研究論文森正康「禊教教団史における一つの画期」『常民文化』6、1983年
荻原稔「明治前期における禊教団の変遷—吐菩加美講から禊教・大成教禊教へ」『神道宗教』130、1988年
荻原稔「禊教独立前史—教祖直門坂田鐵安の活動」『明治聖徳記念学会紀要』43、2006年
+事典・略伝等日本人名大辞典、新宗教教団・人物事典
+略年譜文政3年(1820) 12月11日、武蔵国足立郡保木間村の名主の家に、父・正安、母・由宇のもとに生まれる。数学を好み、和算の関流小泉寧夫の門人となる[禊教]。
天保11年(1840) 4月頃、井上正鉄が隣村である梅田村神明社の神主となる。7月、鉄安の伯父である村越正久が神明社にて得道する[禊教]。
天保12年(1841) 2、3月頃、村越の手引きで、父正安と共に井上正鉄の門人となる[禊教]。
天保14年(1843) 5月25日、正鉄が三宅島へ流されるのを見送る。その後、正鉄が死去するまでの約6年にわたり手紙や物資を送り、教示を受ける[禊教]。
安政4年 11月、父正安が上京し白川家に入門[禊教]。
文久2年(1862) 3月9日、寺社奉行より取締を受け、鉄安も捕らえられ所払いに処せられる。5月、左京と改名し白川家の御内人となる[禊教]。
文久3年(1863) 5月、上京し神拝式を授かる。以降、江戸や京都を往来し、公務と修行座を立てながらの布教に努める[禊教]。
明治4年(1871) この頃、神道女教院の担当となる[禊教]。
明治7年(1874) 鉄安は吐菩加美講と惟神教会との二重に所属[禊教]。
明治12年(1879) 8月18日、「井上正鉄霊社」建立を東京府知事に出願。8月21日、吐菩加美講の後身である禊教事務局から離脱し惟神教会禊社となり、独立の基礎固めをはかる。12月12日、井上神社創建許可を受ける[禊教]。
明治13年(1880) 4月、井上神社竣工[禊教]。
明治15年(1882) 3月24日、神道禊教長に就任。直後に神道大社教所轄に転任。6月10日、神道禊派と公称する認可を受ける。のち、権少教正に就任。以降、教典や祭式書を整え、教団規模を拡大[禊教]。
明治23年(1890) 2月7日、中風の発作。3月18日、死去。享年71[禊教]。
+キーワード(1)教派神道(神道教派)
データベースの典拠「禊教」=荻原稔「禊教独立前史—教祖直門坂田鉄安の活動」『明治聖徳記念学会紀要』43、2006年
-106865 50 2018/02/27 kota.saito 本登録 0 JMK000047 坂田鉄安(坂田鐵安) SAKATA Kaneyasu 坂田鉄安 SAKATA Kaneyasu 文政3年(1820)〜明治23年(1890) さかた かねやす / SAKATA Kaneyasu / 男 さかた かねやす 〔幼名〕慶次郎[禊教]
〔称〕左京 文政3年(1820)12月11日[禊教] 明治23年(1890)3月18日[禊教] 禊教、小泉寧夫、井上正鉄[禊教] - 森正康「禊教教団史における一つの画期」『常民文化』6、1983年
荻原稔「明治前期における禊教団の変遷—吐菩加美講から禊教・大成教禊教へ」『神道宗教』130、1988年
荻原稔「禊教独立前史—教祖直門坂田鐵安の活動」『明治聖徳記念学会紀要』43、2006年 日本人名大辞典、新宗教教団・人物事典 文政3年(1820) 12月11日、武蔵国足立郡保木間村の名主の家に、父・正安、母・由宇のもとに生まれる。数学を好み、和算の関流小泉寧夫の門人となる[禊教]。
天保11年(1840) 4月頃、井上正鉄が隣村である梅田村神明社の神主となる。7月、鉄安の伯父である村越正久が神明社にて得道する[禊教]。
天保12年(1841) 2、3月頃、村越の手引きで、父正安と共に井上正鉄の門人となる[禊教]。
天保14年(1843) 5月25日、正鉄が三宅島へ流されるのを見送る。その後、正鉄が死去するまでの約6年にわたり手紙や物資を送り、教示を受ける[禊教]。
安政4年 11月、父正安が上京し白川家に入門[禊教]。
文久2年(1862) 3月9日、寺社奉行より取締を受け、鉄安も捕らえられ所払いに処せられる。5月、左京と改名し白川家の御内人となる[禊教]。
文久3年(1863) 5月、上京し神拝式を授かる。以降、江戸や京都を往来し、公務と修行座を立てながらの布教に努める[禊教]。
明治4年(1871) この頃、神道女教院の担当となる[禊教]。
明治7年(1874) 鉄安は吐菩加美講と惟神教会との二重に所属[禊教]。
明治12年(1879) 8月18日、「井上正鉄霊社」建立を東京府知事に出願。8月21日、吐菩加美講の後身である禊教事務局から離脱し惟神教会禊社となり、独立の基礎固めをはかる。12月12日、井上神社創建許可を受ける[禊教]。
明治13年(1880) 4月、井上神社竣工[禊教]。
明治15年(1882) 3月24日、神道禊教長に就任。直後に神道大社教所轄に転任。6月10日、神道禊派と公称する認可を受ける。のち、権少教正に就任。以降、教典や祭式書を整え、教団規模を拡大[禊教]。
明治23年(1890) 2月7日、中風の発作。3月18日、死去。享年71[禊教]。 - - 教派神道(神道教派) - - - - - - - 文化~慶応 明治0年代 明治10年代 明治20年代 - - - - - - 「禊教」=荻原稔「禊教独立前史—教祖直門坂田鉄安の活動」『明治聖徳記念学会紀要』43、2006年 - 1
資料ID40208

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