平山省斎

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名平山省斎
+読み仮名 / NAME / 性別ひらやま せいさい / HIRAYAMA Seisai / 男
+別称〔本姓〕黒田[研究]
〔幼名〕金吾[研究]
〔諱〕敬忠[研究]
〔字〕安民[研究]
〔通称〕六蔵、謙二郎[研究]
〔号〕省斎、素山道人[研究]
+生年月日文化12年(1815)2月19日[研究]
+没年月日明治23年(1872)5月22日[研究]
学統・宗派桑原北林、安積艮斎、前田夏蔭、神道大成教、御嶽教
+研究書・伝記御嶽教大本庁宣教部『御嶽教の歴史—開教95年の歩み』御嶽教大本庁、1979年。
井上順孝、阪本是丸編著『日本型政教関係の誕生』第一書房、1987年。
井上順孝『教派神道の形成』弘文堂、1992年。
☆鎌田東二『平山省斎と明治の神道—神道大成教立教百二十周年記念』春秋社、2002年。
+研究論文「幕府参政平山図書頭としての平山省斎翁と維新当時のその文章」『江戸』81・2、江戸旧事采訪会、1918年。
☆田中義能「神道大成教の研究」『神道十三派の研究 上』第一書房、1987年。
大石理子「天道念仏と出羽三山信仰—千葉県八千代市高津の神仏分離」『古代の東北』、1989年。
+事典・略伝等平山成信編『省斎年譜草案』1908年。
平山成信編「省斎遺稾並ニ年譜」久保春海、1926年。
平山成信「平山省斎」『中央史壇』129、1926年。

*国史大辞典、神道事典、神道辞典、神道人名辞典、神道大辞典、日本人名大辞典、新宗教教団・人物事典
+略年譜文化12年(1815) 2月19日、磐城国三春藩士で剣道師範の黒岡活円斎の次子として生まれる[研究]。
天保5年(1834) 20歳の時、江戸に出て叔父の竹村久成宅に寄宿し、漢学を桑原北林、安積艮斎に、国学を前田夏蔭に学ぶ[研究]。
嘉永元年(1848) 桑原北林の次女千代と結婚[研究]。
嘉永3年(1850) 幕府の小普請、平山源太郎の養嗣子となり、3月29日、家督を継ぐ[研究]。
嘉永4年(1851) 徒目付となる[研究]。
嘉永6年(1853) 5月、アメリカの使節ペリーが浦賀港に来航した際、命を受けて沿海の地形を巡視[研究]。
安政元年(1854) 1月13日、浦賀表へアメリカ船が再来航した際、命を受けて応接。3月、松前蝦夷地を巡視。竹村久成の末男、平山成信を養子とする。12月15日、アメリカ・ロシア船が来航したため、下田表へ出張。以降、安政5年頃にかけて条約交渉や論議に従事[研究]。
安政6年(1859) 9月10日、徒目付を解任され、甲府勝手小普請に就任[研究]。
蔓延元年(1860) 4月、甲府着。甲府在任中は子弟に教授する[研究]。
文久2年(1862) 江戸に召還され、10月、函館奉行支配組頭に就任[研究]。
慶応元年(1865) 11月、江戸に戻り、二丸留守として外国事務を務める[研究]。
慶応2年(1866) 2月、大阪、広島、小倉、長崎出張。8月29日、外国奉行に就任[研究]。
慶応3年(1867) 若年寄、ならびに外国総奉行に就任。高知、熱海出張[研究]。
明治元年(1868) 9月8日、隠居願を提出、成之助へ家督相続。10月28日、駿州移住[研究]。
明治4年(1871) 4月、東京に帰住し、子弟に教授する。9月25日、権少教正に就任[研究]。
明治6年(1873) 2月22日、権中教正に就任。3月4日、氷川神社の再興に努め、大宮司に就任。11月4日、中教正に就任[研究]。
明治7年(1874) 4月4日、氷川神社大宮司を依頼免官。8月19日、権大教正に就任[研究]。
明治9年(1976) 4月22日、氷川神社大宮司に就任。5月10日、日枝神社の発展に努め、祠官に就任[研究]。
明治12年(1879) 5月10日、大教正に兼補される。9月、大成教会を結集して教長となる[研究]。
明治15年(1882) 1月23日、大教正に専補される。教導職の兼務を廃止されたことで、神職を辞して専ら宗教家として布教に従事することを決意。5月、大成教独立の許可を得、初代管長となる。以降、各地を巡って布教に従事[研究]。
明治17年(1884) 8月9日、神道総裁より大成教管長を申し付けられる[研究]。
明治23年(1890) 5月22日、死去。享年76歳[研究]。
+主要著作平山省斎『本教真訣 内篇・外篇』大教正平山省斎纂述出版、1882年。
平山省斎『大成教婚礼式』大成教本部、1884年。
平山省斎『大成教葬祭式』大成教本部、1884年。
平山省斎『俳教真訣』大成教館、1885年。
平山敬忠著、平山成信編刊『省斎遺稿』、1899年。
平山省斎『修道真法』大成教教務庁、1912年。
+キーワード(1)教派神道(神道教派)
+キーワード(2)神道家教導職
データベースの典拠「研究」=田中義能「神道大成教の研究」『神道十三派の研究 上』、第一書房、1932年。
-106853 50 2018/02/27 kota.saito 本登録 0 JMK000035 平山省斎 HIRAYAMA Seisai 平山省斎 HIRAYAMA Seisai 文化12年(1815)〜明治23年(1872) ひらやま せいさい / HIRAYAMA Seisai / 男 ひらやま せいさい 〔本姓〕黒田[研究]
〔幼名〕金吾[研究]
〔諱〕敬忠[研究]
〔字〕安民[研究]
〔通称〕六蔵、謙二郎[研究]
〔号〕省斎、素山道人[研究] 文化12年(1815)2月19日[研究] 明治23年(1872)5月22日[研究] 桑原北林、安積艮斎、前田夏蔭、神道大成教、御嶽教 御嶽教大本庁宣教部『御嶽教の歴史—開教95年の歩み』御嶽教大本庁、1979年。
井上順孝、阪本是丸編著『日本型政教関係の誕生』第一書房、1987年。
井上順孝『教派神道の形成』弘文堂、1992年。
☆鎌田東二『平山省斎と明治の神道—神道大成教立教百二十周年記念』春秋社、2002年。 「幕府参政平山図書頭としての平山省斎翁と維新当時のその文章」『江戸』8-1・2、江戸旧事采訪会、1918年。
☆田中義能「神道大成教の研究」『神道十三派の研究 上』第一書房、1987年。
大石理子「天道念仏と出羽三山信仰—千葉県八千代市高津の神仏分離」『古代の東北』、1989年。 平山成信編『省斎年譜草案』1908年。
平山成信編「省斎遺稾並ニ年譜」久保春海、1926年。
平山成信「平山省斎」『中央史壇』12-9、1926年。

*国史大辞典、神道事典、神道辞典、神道人名辞典、神道大辞典、日本人名大辞典、新宗教教団・人物事典 文化12年(1815) 2月19日、磐城国三春藩士で剣道師範の黒岡活円斎の次子として生まれる[研究]。
天保5年(1834) 20歳の時、江戸に出て叔父の竹村久成宅に寄宿し、漢学を桑原北林、安積艮斎に、国学を前田夏蔭に学ぶ[研究]。
嘉永元年(1848) 桑原北林の次女千代と結婚[研究]。
嘉永3年(1850) 幕府の小普請、平山源太郎の養嗣子となり、3月29日、家督を継ぐ[研究]。
嘉永4年(1851) 徒目付となる[研究]。
嘉永6年(1853) 5月、アメリカの使節ペリーが浦賀港に来航した際、命を受けて沿海の地形を巡視[研究]。
安政元年(1854) 1月13日、浦賀表へアメリカ船が再来航した際、命を受けて応接。3月、松前蝦夷地を巡視。竹村久成の末男、平山成信を養子とする。12月15日、アメリカ・ロシア船が来航したため、下田表へ出張。以降、安政5年頃にかけて条約交渉や論議に従事[研究]。
安政6年(1859) 9月10日、徒目付を解任され、甲府勝手小普請に就任[研究]。
蔓延元年(1860) 4月、甲府着。甲府在任中は子弟に教授する[研究]。
文久2年(1862) 江戸に召還され、10月、函館奉行支配組頭に就任[研究]。
慶応元年(1865) 11月、江戸に戻り、二丸留守として外国事務を務める[研究]。
慶応2年(1866) 2月、大阪、広島、小倉、長崎出張。8月29日、外国奉行に就任[研究]。
慶応3年(1867) 若年寄、ならびに外国総奉行に就任。高知、熱海出張[研究]。
明治元年(1868) 9月8日、隠居願を提出、成之助へ家督相続。10月28日、駿州移住[研究]。
明治4年(1871) 4月、東京に帰住し、子弟に教授する。9月25日、権少教正に就任[研究]。
明治6年(1873) 2月22日、権中教正に就任。3月4日、氷川神社の再興に努め、大宮司に就任。11月4日、中教正に就任[研究]。
明治7年(1874) 4月4日、氷川神社大宮司を依頼免官。8月19日、権大教正に就任[研究]。
明治9年(1976) 4月22日、氷川神社大宮司に就任。5月10日、日枝神社の発展に努め、祠官に就任[研究]。
明治12年(1879) 5月10日、大教正に兼補される。9月、大成教会を結集して教長となる[研究]。
明治15年(1882) 1月23日、大教正に専補される。教導職の兼務を廃止されたことで、神職を辞して専ら宗教家として布教に従事することを決意。5月、大成教独立の許可を得、初代管長となる。以降、各地を巡って布教に従事[研究]。
明治17年(1884) 8月9日、神道総裁より大成教管長を申し付けられる[研究]。
明治23年(1890) 5月22日、死去。享年76歳[研究]。 - 平山省斎『本教真訣 内篇・外篇』大教正平山省斎纂述出版、1882年。
平山省斎『大成教婚礼式』大成教本部、1884年。
平山省斎『大成教葬祭式』大成教本部、1884年。
平山省斎『俳教真訣』大成教館、1885年。
平山敬忠著、平山成信編刊『省斎遺稿』、1899年。
平山省斎『修道真法』大成教教務庁、1912年。 教派神道(神道教派) 神道家教導職 - - - - - - 文化~慶応 明治0年代 明治10年代 明治20年代 - - - - - - 「研究」=田中義能「神道大成教の研究」『神道十三派の研究 上』、第一書房、1932年。 - 1
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