中山みき
大分類 | 明治期国学・神道・宗教関係人物データベース |
---|---|
分野分類 CB | 宗教学・神道学 |
人名 | 中山みき |
+読み仮名 / NAME / 性別 | なかやま みき / NAKAYAM Miki / 女 |
+別称 | 〔名〕美支[おふでさき]、美伎子[天理教祖中山美伎子]、みき子[偉人警句集] 〔称〕教祖(おやさま)[教祖伝] |
+生年月日 | 寛政10年(1798)6月2日(陰暦4月18日)[教祖伝] |
+没年月日 | 明治20年(1887)2月18日(陰暦1月26日)[教祖伝] |
学統・宗派 | 天理教 |
+研究書・伝記 | 丸橋吉三郎『天理教開祖の伝記』出版社不明、1896年。 中山重太郎『天理教御教祖御一代記』賀来甲太郎、1900年。 武田福蔵編刊『天理教御開祖真実之御話』、1901年。 木下松太郎著刊『天理教御開祖真実之御話』、1902年。 晩翠編『天理教御教祖御実伝』武田福蔵、1903年。 出水弥太郎編『天理教付教祖略伝』丸利印刷、1909年。 宮崎三郎『天理教独立史上付天理教祖一代記』同志協会、1909年。 渡辺霞亭『天理教祖中山美伎子』育文館・興風書院、1910年。 岑水『天理教御教祖真実伝』田仲俊賢、1912年。 森露華『天理教祖真実伝』出版社不明、1912年。 天理教同志会編輯部著刊『天理教祖』、1913年。 宮地猛男『偉人警句集—処世修養』応来社書房、1914年。 村田勇『天理教教祖実伝』木下真進堂、1914年。 奥谷文智『天理教祖観』日月社、1915年。 岩井尊人『天理教祖の哲学』一成社、1915年。 奥谷文智『天理教祖伝講話』大野書店、1916年。 同志会著刊『御教祖年譜』、1916年。 山田枯柳『おみき婆さんの戸籍志らべ—天理教の秘密と戀の甘露臺』竹生英堂、1919年。 天理教同志会『天理教祖』田辺安造、1924年。 赤心社編刊『教祖とその高弟逸話集』、1928年。 柏木庫治『天理教祖中山美伎子伝』宗徳書房、1932年。 中山慶一『教派神道の発生過程』森山書店、1933年。 広岡冨蔵『天理教教祖伝附天理教年譜表』1934年。 奥谷文智『天理教祖中山美支子実伝—附飯降伊蔵翁』(別名『存命の理の教祖』)木下真進堂、1936年。 中村古峡『天理教の解剖』大東出版社、1937年。 天理教校編『教祖伝稿本』天理教道友社、1938年。 鶴藤幾太『教派神道の研究』太興社、1939年。 天理教教義乃史料集成部編『おふでさき索引』1946年。 天理教教会本部編『おふでさき付註釈』天理教教会本部、改訂版、1948年。 高野友治『御存命の頃』全三巻、天理教道友社、1948年。 天理教教会本部天理教教義及史料集成部編『おさしづ』天理教道友社、1948年。 植田英蔵『お言葉集』全二巻、天理教道友社、1949年。 上田嘉成『みかぐらうた略註』天理教道友社、1950年。 橋本武『ひながたの蔭に』天理教道友社、1952年。 芹沢光治良『この母を見よ—天理教教祖中山みきの生涯』東和社、1952年。 乾孝他『教祖—庶民の神々』青木書店、1955年。 ☆天理教教会本部編『縞本 天理教教祖伝』天理教道友社、1956年。 村上重良『中山みき』朝倉書店、1959年。 深谷忠正『みかぐらうた講義』天理教道友社、1956年。 村上重良『近代民衆宗教史の研究』増訂版、法蔵館、1963年。 笠原一男・小栗純子『教祖誕生—親鸞と中山みきにみる』日本経済新聞社、1968年。 小栗純子『日本の近代社会と天理教』評論社、1969年。 小栗純子『中山みき—天理教』新人物往来社、1970年。 村上重良・安丸良夫校注『日本思想大系』67、岩波書店、1970年。 諸政政一『正文遺韻抄』天理教道友社、1970年。 深谷忠正『教祖伝講話』天理教道友社、1972年。 松隈青壺編『稿本 天理教教祖伝 参考事典』天理教道友社、1972年。 上田嘉成『おふでさき講義』天理教道友社、1973年。 天理教教会本部編『天理教原典集 附天理教教典』天理教教会本部、改修版、1974年。 小野清一『みかぐらうた入門』天理教道友社、1975年。 ☆天理教教会本部編『稿本 天理教教祖伝 逸話篇』天理教道友社、1976年。 村上重良校注『みかぐらうた・おふでさき—民衆宗教の聖典・天理教』平凡社、1976年。 小栗純子『日本の近代社会と天理教』評論社、1976年。 天理大学おやさと研究所編『天理教事典』天理教道友社、1977年。 西山輝夫『ひながたを身近に』天理教道友社、1977年。 芹沢光治良『教祖様』善本社、1978年。 芹沢茂『おふでさき通訳』天理教道友社、1981年。 中山慶一『私の教祖』天理教道友社、1981年。 屋持辰三郎『教祖伝入門十講』天理教道友社、1984。 浜田泰三『新宗教創始者伝・天理教—存命の教祖中山みき』講談社、1985年。 田中義能『神道十三派の研究』下、第一書房、1987年。 平野知一『みかぐらうた叙説』天理教道友社、1985年。 矢島英雄『中山みき研究ノート』立風書房、1987年。 浜田泰三編『現代のこころ—天理教』旺文社、1987年。 石崎正雄編『教祖とその時代—天理教史の周辺を読む』天理教道友社、1991年。 大谷渡『教派神道と近代日本—天理教の史的考察』東方出版、1992年。 ☆池田士郎・関一敏・島薗進『中山みき・その生涯と思想』明石書店、1998年。 小滝透『おやさま—天理教教祖中山みき伝』奈良新聞社、2000年。 弓山達也『天啓のゆくえ—宗教が分派するとき』日本地域社会研究所、2005年。 池田士郎『中山みきの足跡と群像—被差別民衆と天理教』明石書店、2007年。 島田裕巳『天理教—神憑りから新宗教へ』八幡書店、2008年。 小澤浩『中山みき—「心直し」から「世直し」を説いた生き神教祖』山川出版社、2012年。 |
+研究論文 | 八浜掬泉「天理教の教祖及教理」『六合雑誌』238、1900年。 上田嘉成「天理教教祖伝に於ける年代区分に就て」『宗教研究』44、193年8。 白藤義治郎「御本席によりて授けられたるおさづけ考」『日本文化』13、1938年。 上野利一「天理教主要文献」『日本文化』11、1945年。 富永牧太「外国人の天理教研究—文献を中心として」『日本文化』11、1945年。 乾孝他「教祖列伝一天理教」『中央公論』698、1949年。 上田嘉成「天理教祖の世界観」『宗教研究』142、1954年。 浜田本悠「天理教祖とその教団」『宗教公論』269、1956年。 佐木秋夫「中山ミキ」『講座現代倫理 第7巻 現代的状況における人間』筑摩書房、1958年。 高木宏夫「宗教教団の成立過程—天理教の場合」『東洋文化研究所紀要』6、1966。 田上光治「天理教教祖・中山みきの死生観」『神道学』71、1971。 高橋一郎「土俗宗教論—天理教について」12『試行』37・42、1972・75。 小野泰博「中山みき論」『季刊現代宗教』13、1975。 佐々木宏幹「受難—教祖の宗教的足跡から」人間社編『天理—心のまほろば、心の本』天理教よのもと会、1977。 島薗進「神がかりから救けまで—天理教の発生序説」『駒澤大学仏教学部論集』8、1977。 島薗進「疑いと信仰の間—中山みきの救けの信仰の起源」『筑波大学哲学・思想学系論集』2、1977。 菱山謙二「天理教教団組織の研究 続」『社会学ジャーナル』12、1977。 西山輝夫「文献としての教祖伝通史」『天地』16、23、1978・79。 川村邦光「教祖における神がかりの意味をめぐって」『論集』7、1980。 島薗進「天理教研究史試論—発生過程について」『日本宗教史研究年報』3、佼成出版社、1980。 島薗進「日本人の宗教意識と聖典—『おふでさき』の文体について」池田英俊他編『日本人の宗教の歩み』大学教育社、1980。 島薗進「天理教における救済史神話」『哲学・思想論論集』1、1982。 川村邦光「スティグマとカリスマの弁証法—教祖をめぐる一考察」『宗教研究』253、1982。 妻鹿淳子「創唱宗教における女性教祖の母性観—如来教・天理教・大本教を中心に」脇田晴子編『母性を問う—歴史的変遷』下、人文書院、1985。 加納宗治郎「忽如、神が天降る—天理教開祖・中山みきの自虐と反逆の生涯」『日本及日本人』1582、1986。 村上重良「中山みきと転輪王信仰」『日本歴史別冊伝記の魅力』1986。 薄井篤子「女性教祖の誕生」『宗教研究』274、1987。 川村邦光「教祖のドラマトゥルギー—カリスマの制度化と継承」宗教社会学研究会編『教祖とその周辺』雄山閣、1987。 松本健一「中山みき・出口なお—かみがかりする女性」『彷書月刊』82、1992。 石渡佳美「天理教教団の成立過程と中山みきの女性観」『明治学院大学大学院社会学研究科社会学専攻紀要』16、1993。 松本滋「本居宣長と中山みき—比較思想的考察の試み」『聖心女子大学論叢』88、1997。 岡尾将秀「天理教が発生した条件」『年報人間科学』202、1999。 弓山達也「新宗教における分派分立の研究—天理教系教団をめぐって」(大正大学博士論文乙第47号)、2000年。 前田均「住井すゑの歴史偽造—特に中山みきに関する記述を始めとして」『天理大学おやさと研究所年報』7、2001年。 寺田喜朗「内在的理解の方法的地平とは何か—島薗進の中山みき研究再考」『年報社会科学基礎論研究』2、2003。 池田士郎「からだのコスモロジー—中山みきの身体観」『人体科学』131、2004。 林泰弘「中山みきの神秘体験に関する文献的考察」『アジア文化研究』11、2004。 池田士郎「中山みきとその時代」『総合教育研究センター紀要』4、2005。 熊田一雄「天理教教祖と「暴力」の問題系」『愛知学院大学文学部紀要』37、2007。 永岡崇「教祖の〈死〉の近代—中山みきの表象=祭祀をめぐって」『大阪大学日本学報』26、2007。 松原浩一郎「天理教教祖中山みきの障害者観」『吉備国際大学研究紀要』21、2011。 |
+事典・略伝等 | 天理市史編さん委員会編『天理市史 上巻』天理市、1976。 天理大学おやさと研究所編『天理教事典』天理教道友社、1977。 井上順孝・孝本貢・対馬路人・西山茂編『新宗教教団・人物事典』弘文堂、1996。 *国史大辞典、日本人名大辞典 |
+略年譜 | 寛政10年(1798) 6月2日(陰暦4月18日)、大和国山辺郡西三昧田村で父前川半七正信、母きぬのもとに誕生[教祖伝]。 文化7年(1810) 10月13日(陰暦9月15日)、13歳で、山辺郡庄屋敷村の中山家、善兵衛(23歳)に嫁ぐ[教祖伝]。 天保9年(1838) 12月9日(陰暦10月23日)、長男・秀司の足痛をおさめる寄加持のため、みきが加持台になったところ、神がかり状態となる[教祖伝]。 天保9年(1838) 12月12日(陰暦10月26日)、みきが「月日のやしろ」に定まる[教祖伝]。 嘉永6年(1854) 夫善兵衛死去、中山家の母屋を売り払う[教祖伝]。 安政2年(1855) 残っていた三町歩の田畑を年切質に入れて施す[教祖伝]。 慶応2年(1866) 「あしきはらひたすけたまへてんりわうのみこと」の歌と手振りを教える。初代真柱・中山眞之亮誕生[教祖伝]。 明治2年(1869) 「おふでさき」執筆を開始[教祖伝]。 明治7年(1874) 12月23日、奈良県庁より出頭を命じられる[教祖伝]。 明治8年(1875) 「ぢば」定めを行う。9月25日、奈良県庁より呼び出され、留置、取り調べを受ける[教祖伝]。 明治15年(1882) 5月12日、奈良警察署が「かんろだい」の石を没収する。10月29日〜11月9日、奈良監獄に拘留される。以降たびたび拘留される[教祖伝]。 明治19年(1886) 2月18日〜3月1日、櫟本警察分署に最後の留置をされる[教祖伝]。 明治20年(1887) 1月4日、容態急変。2月18日(陰暦1月26日)、死去、享年90[教祖伝]。 |
+主要著作 | 中山美支『おふでさき』中山正善、出版年不明。 中山みき(村上重良校注)『民衆宗教の聖典・みかぐらうた・おふでさき』平凡社、1992。 |
+キーワード(1) | 教派神道(神道教派) |
データベースの典拠 | 「教祖伝」=天理教教会本部編『縞本天理教教祖伝』天理教道友社、1956。 「おふでさき」=中山美支『おふでさき』中山正善、出版年不明。 「中山美伎子」=渡辺霞亭『天理教祖中山美伎子』育文館・興風書院、1910。 「偉人警句集」=宮地猛男『偉人警句集—処世修養』応来社書房、1914。 |
コンテンツ権利区分 | CC BY-NC |
資料ID | 40169 |
- |