中山みき

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
人名中山みき
+読み仮名 / NAME / 性別なかやま みき / NAKAYAM Miki / 女
+別称〔名〕美支[おふでさき]、美伎子[天理教祖中山美伎子]、みき子[偉人警句集]
〔称〕教祖(おやさま)[教祖伝]
+生年月日寛政10年(1798)6月2日(陰暦4月18日)[教祖伝]
+没年月日明治20年(1887)2月18日(陰暦1月26日)[教祖伝]
学統・宗派天理教
+研究書・伝記丸橋吉三郎『天理教開祖の伝記』出版社不明、1896年。
中山重太郎『天理教御教祖御一代記』賀来甲太郎、1900年。
武田福蔵編刊『天理教御開祖真実之御話』、1901年。
木下松太郎著刊『天理教御開祖真実之御話』、1902年。
晩翠編『天理教御教祖御実伝』武田福蔵、1903年。
出水弥太郎編『天理教付教祖略伝』丸利印刷、1909年。
宮崎三郎『天理教独立史上付天理教祖一代記』同志協会、1909年。
渡辺霞亭『天理教祖中山美伎子』育文館・興風書院、1910年。
岑水『天理教御教祖真実伝』田仲俊賢、1912年。
森露華『天理教祖真実伝』出版社不明、1912年。
天理教同志会編輯部著刊『天理教祖』、1913年。
宮地猛男『偉人警句集—処世修養』応来社書房、1914年。
村田勇『天理教教祖実伝』木下真進堂、1914年。
奥谷文智『天理教祖観』日月社、1915年。
岩井尊人『天理教祖の哲学』一成社、1915年。
奥谷文智『天理教祖伝講話』大野書店、1916年。
同志会著刊『御教祖年譜』、1916年。
山田枯柳『おみき婆さんの戸籍志らべ—天理教の秘密と戀の甘露臺』竹生英堂、1919年。
天理教同志会『天理教祖』田辺安造、1924年。
赤心社編刊『教祖とその高弟逸話集』、1928年。
柏木庫治『天理教祖中山美伎子伝』宗徳書房、1932年。
中山慶一『教派神道の発生過程』森山書店、1933年。
広岡冨蔵『天理教教祖伝附天理教年譜表』1934年。
奥谷文智『天理教祖中山美支子実伝—附飯降伊蔵翁』(別名『存命の理の教祖』)木下真進堂、1936年。
中村古峡『天理教の解剖』大東出版社、1937年。
天理教校編『教祖伝稿本』天理教道友社、1938年。
鶴藤幾太『教派神道の研究』太興社、1939年。
天理教教義乃史料集成部編『おふでさき索引』1946年。
天理教教会本部編『おふでさき付註釈』天理教教会本部、改訂版、1948年。
高野友治『御存命の頃』全三巻、天理教道友社、1948年。
天理教教会本部天理教教義及史料集成部編『おさしづ』天理教道友社、1948年。
植田英蔵『お言葉集』全二巻、天理教道友社、1949年。
上田嘉成『みかぐらうた略註』天理教道友社、1950年。
橋本武『ひながたの蔭に』天理教道友社、1952年。
芹沢光治良『この母を見よ—天理教教祖中山みきの生涯』東和社、1952年。
乾孝他『教祖—庶民の神々』青木書店、1955年。
☆天理教教会本部編『縞本 天理教教祖伝』天理教道友社、1956年。
村上重良『中山みき』朝倉書店、1959年。
深谷忠正『みかぐらうた講義』天理教道友社、1956年。
村上重良『近代民衆宗教史の研究』増訂版、法蔵館、1963年。
笠原一男・小栗純子『教祖誕生—親鸞と中山みきにみる』日本経済新聞社、1968年。
小栗純子『日本の近代社会と天理教』評論社、1969年。
小栗純子『中山みき—天理教』新人物往来社、1970年。
村上重良・安丸良夫校注『日本思想大系』67、岩波書店、1970年。
諸政政一『正文遺韻抄』天理教道友社、1970年。
深谷忠正『教祖伝講話』天理教道友社、1972年。
松隈青壺編『稿本 天理教教祖伝 参考事典』天理教道友社、1972年。
上田嘉成『おふでさき講義』天理教道友社、1973年。
天理教教会本部編『天理教原典集 附天理教教典』天理教教会本部、改修版、1974年。
小野清一『みかぐらうた入門』天理教道友社、1975年。
☆天理教教会本部編『稿本 天理教教祖伝 逸話篇』天理教道友社、1976年。
村上重良校注『みかぐらうた・おふでさき—民衆宗教の聖典・天理教』平凡社、1976年。
小栗純子『日本の近代社会と天理教』評論社、1976年。
天理大学おやさと研究所編『天理教事典』天理教道友社、1977年。
西山輝夫『ひながたを身近に』天理教道友社、1977年。
芹沢光治良『教祖様』善本社、1978年。
芹沢茂『おふでさき通訳』天理教道友社、1981年。
中山慶一『私の教祖』天理教道友社、1981年。
屋持辰三郎『教祖伝入門十講』天理教道友社、1984。
浜田泰三『新宗教創始者伝・天理教—存命の教祖中山みき』講談社、1985年。
田中義能『神道十三派の研究』下、第一書房、1987年。
平野知一『みかぐらうた叙説』天理教道友社、1985年。
矢島英雄『中山みき研究ノート』立風書房、1987年。
浜田泰三編『現代のこころ—天理教』旺文社、1987年。
石崎正雄編『教祖とその時代—天理教史の周辺を読む』天理教道友社、1991年。
大谷渡『教派神道と近代日本—天理教の史的考察』東方出版、1992年。
☆池田士郎・関一敏・島薗進『中山みき・その生涯と思想』明石書店、1998年。
小滝透『おやさま—天理教教祖中山みき伝』奈良新聞社、2000年。
弓山達也『天啓のゆくえ—宗教が分派するとき』日本地域社会研究所、2005年。
池田士郎『中山みきの足跡と群像—被差別民衆と天理教』明石書店、2007年。
島田裕巳『天理教—神憑りから新宗教へ』八幡書店、2008年。
小澤浩『中山みき—「心直し」から「世直し」を説いた生き神教祖』山川出版社、2012年。
+研究論文八浜掬泉「天理教の教祖及教理」『六合雑誌』238、1900年。
上田嘉成「天理教教祖伝に於ける年代区分に就て」『宗教研究』44、193年8。
白藤義治郎「御本席によりて授けられたるおさづけ考」『日本文化』13、1938年。
上野利一「天理教主要文献」『日本文化』11、1945年。
富永牧太「外国人の天理教研究—文献を中心として」『日本文化』11、1945年。
乾孝他「教祖列伝一天理教」『中央公論』698、1949年。
上田嘉成「天理教祖の世界観」『宗教研究』142、1954年。
浜田本悠「天理教祖とその教団」『宗教公論』269、1956年。
佐木秋夫「中山ミキ」『講座現代倫理 第7巻 現代的状況における人間』筑摩書房、1958年。
高木宏夫「宗教教団の成立過程—天理教の場合」『東洋文化研究所紀要』6、1966。
田上光治「天理教教祖・中山みきの死生観」『神道学』71、1971。
高橋一郎「土俗宗教論—天理教について」12『試行』37・42、1972・75。
小野泰博「中山みき論」『季刊現代宗教』13、1975。
佐々木宏幹「受難—教祖の宗教的足跡から」人間社編『天理—心のまほろば、心の本』天理教よのもと会、1977。
島薗進「神がかりから救けまで—天理教の発生序説」『駒澤大学仏教学部論集』8、1977。
島薗進「疑いと信仰の間—中山みきの救けの信仰の起源」『筑波大学哲学・思想学系論集』2、1977。
菱山謙二「天理教教団組織の研究 続」『社会学ジャーナル』12、1977。
西山輝夫「文献としての教祖伝通史」『天地』16、23、1978・79。
川村邦光「教祖における神がかりの意味をめぐって」『論集』7、1980。
島薗進「天理教研究史試論—発生過程について」『日本宗教史研究年報』3、佼成出版社、1980。
島薗進「日本人の宗教意識と聖典—『おふでさき』の文体について」池田英俊他編『日本人の宗教の歩み』大学教育社、1980。
島薗進「天理教における救済史神話」『哲学・思想論論集』1、1982。
川村邦光「スティグマとカリスマの弁証法—教祖をめぐる一考察」『宗教研究』253、1982。
妻鹿淳子「創唱宗教における女性教祖の母性観—如来教・天理教・大本教を中心に」脇田晴子編『母性を問う—歴史的変遷』下、人文書院、1985。
加納宗治郎「忽如、神が天降る—天理教開祖・中山みきの自虐と反逆の生涯」『日本及日本人』1582、1986。
村上重良「中山みきと転輪王信仰」『日本歴史別冊伝記の魅力』1986。
薄井篤子「女性教祖の誕生」『宗教研究』274、1987。
川村邦光「教祖のドラマトゥルギー—カリスマの制度化と継承」宗教社会学研究会編『教祖とその周辺』雄山閣、1987。
松本健一「中山みき・出口なお—かみがかりする女性」『彷書月刊』82、1992。
石渡佳美「天理教教団の成立過程と中山みきの女性観」『明治学院大学大学院社会学研究科社会学専攻紀要』16、1993。
松本滋「本居宣長と中山みき—比較思想的考察の試み」『聖心女子大学論叢』88、1997。
岡尾将秀「天理教が発生した条件」『年報人間科学』202、1999。
弓山達也「新宗教における分派分立の研究—天理教系教団をめぐって」(大正大学博士論文乙第47号)、2000年。
前田均「住井すゑの歴史偽造—特に中山みきに関する記述を始めとして」『天理大学おやさと研究所年報』7、2001年。
寺田喜朗「内在的理解の方法的地平とは何か—島薗進の中山みき研究再考」『年報社会科学基礎論研究』2、2003。
池田士郎「からだのコスモロジー—中山みきの身体観」『人体科学』131、2004。
林泰弘「中山みきの神秘体験に関する文献的考察」『アジア文化研究』11、2004。
池田士郎「中山みきとその時代」『総合教育研究センター紀要』4、2005。
熊田一雄「天理教教祖と「暴力」の問題系」『愛知学院大学文学部紀要』37、2007。
永岡崇「教祖の〈死〉の近代—中山みきの表象=祭祀をめぐって」『大阪大学日本学報』26、2007。
松原浩一郎「天理教教祖中山みきの障害者観」『吉備国際大学研究紀要』21、2011。
+事典・略伝等天理市史編さん委員会編『天理市史 上巻』天理市、1976。
天理大学おやさと研究所編『天理教事典』天理教道友社、1977。
井上順孝・孝本貢・対馬路人・西山茂編『新宗教教団・人物事典』弘文堂、1996。

*国史大辞典、日本人名大辞典
+略年譜寛政10年(1798) 6月2日(陰暦4月18日)、大和国山辺郡西三昧田村で父前川半七正信、母きぬのもとに誕生[教祖伝]。
文化7年(1810) 10月13日(陰暦9月15日)、13歳で、山辺郡庄屋敷村の中山家、善兵衛(23歳)に嫁ぐ[教祖伝]。
天保9年(1838) 12月9日(陰暦10月23日)、長男・秀司の足痛をおさめる寄加持のため、みきが加持台になったところ、神がかり状態となる[教祖伝]。
天保9年(1838) 12月12日(陰暦10月26日)、みきが「月日のやしろ」に定まる[教祖伝]。
嘉永6年(1854) 夫善兵衛死去、中山家の母屋を売り払う[教祖伝]。
安政2年(1855) 残っていた三町歩の田畑を年切質に入れて施す[教祖伝]。
慶応2年(1866) 「あしきはらひたすけたまへてんりわうのみこと」の歌と手振りを教える。初代真柱・中山眞之亮誕生[教祖伝]。
明治2年(1869) 「おふでさき」執筆を開始[教祖伝]。
明治7年(1874) 12月23日、奈良県庁より出頭を命じられる[教祖伝]。
明治8年(1875) 「ぢば」定めを行う。9月25日、奈良県庁より呼び出され、留置、取り調べを受ける[教祖伝]。
明治15年(1882) 5月12日、奈良警察署が「かんろだい」の石を没収する。10月29日〜11月9日、奈良監獄に拘留される。以降たびたび拘留される[教祖伝]。
明治19年(1886) 2月18日〜3月1日、櫟本警察分署に最後の留置をされる[教祖伝]。
明治20年(1887) 1月4日、容態急変。2月18日(陰暦1月26日)、死去、享年90[教祖伝]。
+主要著作中山美支『おふでさき』中山正善、出版年不明。
中山みき(村上重良校注)『民衆宗教の聖典・みかぐらうた・おふでさき』平凡社、1992。
+キーワード(1)教派神道(神道教派)
データベースの典拠「教祖伝」=天理教教会本部編『縞本天理教教祖伝』天理教道友社、1956。
「おふでさき」=中山美支『おふでさき』中山正善、出版年不明。
「中山美伎子」=渡辺霞亭『天理教祖中山美伎子』育文館・興風書院、1910。
「偉人警句集」=宮地猛男『偉人警句集—処世修養』応来社書房、1914。
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID40169
-106826 50 2018/02/27 kota.saito 本登録 0 JMK000008 中山みき NAKAYAMA Miki 中山みき NAKAYAMA Miki 寛政10年(1798)〜明治20年(1887) なかやま みき / NAKAYAM Miki / 女 なかやま みき 〔名〕美支[おふでさき]、美伎子[天理教祖中山美伎子]、みき子[偉人警句集]
〔称〕教祖(おやさま)[教祖伝] 寛政10年(1798)6月2日(陰暦4月18日)[教祖伝] 明治20年(1887)2月18日(陰暦1月26日)[教祖伝] 天理教 丸橋吉三郎『天理教開祖の伝記』出版社不明、1896年。
中山重太郎『天理教御教祖御一代記』賀来甲太郎、1900年。
武田福蔵編刊『天理教御開祖真実之御話』、1901年。
木下松太郎著刊『天理教御開祖真実之御話』、1902年。
晩翠編『天理教御教祖御実伝』武田福蔵、1903年。
出水弥太郎編『天理教付教祖略伝』丸利印刷、1909年。
宮崎三郎『天理教独立史上付天理教祖一代記』同志協会、1909年。
渡辺霞亭『天理教祖中山美伎子』育文館・興風書院、1910年。
岑水『天理教御教祖真実伝』田仲俊賢、1912年。
森露華『天理教祖真実伝』出版社不明、1912年。
天理教同志会編輯部著刊『天理教祖』、1913年。
宮地猛男『偉人警句集—処世修養』応来社書房、1914年。
村田勇『天理教教祖実伝』木下真進堂、1914年。
奥谷文智『天理教祖観』日月社、1915年。
岩井尊人『天理教祖の哲学』一成社、1915年。
奥谷文智『天理教祖伝講話』大野書店、1916年。
同志会著刊『御教祖年譜』、1916年。
山田枯柳『おみき婆さんの戸籍志らべ—天理教の秘密と戀の甘露臺』竹生英堂、1919年。
天理教同志会『天理教祖』田辺安造、1924年。
赤心社編刊『教祖とその高弟逸話集』、1928年。
柏木庫治『天理教祖中山美伎子伝』宗徳書房、1932年。
中山慶一『教派神道の発生過程』森山書店、1933年。
広岡冨蔵『天理教教祖伝附天理教年譜表』1934年。
奥谷文智『天理教祖中山美支子実伝—附飯降伊蔵翁』(別名『存命の理の教祖』)木下真進堂、1936年。
中村古峡『天理教の解剖』大東出版社、1937年。
天理教校編『教祖伝稿本』天理教道友社、1938年。
鶴藤幾太『教派神道の研究』太興社、1939年。
天理教教義乃史料集成部編『おふでさき索引』1946年。
天理教教会本部編『おふでさき付註釈』天理教教会本部、改訂版、1948年。
高野友治『御存命の頃』全三巻、天理教道友社、1948年。
天理教教会本部天理教教義及史料集成部編『おさしづ』天理教道友社、1948年。
植田英蔵『お言葉集』全二巻、天理教道友社、1949年。
上田嘉成『みかぐらうた略註』天理教道友社、1950年。
橋本武『ひながたの蔭に』天理教道友社、1952年。
芹沢光治良『この母を見よ—天理教教祖中山みきの生涯』東和社、1952年。
乾孝他『教祖—庶民の神々』青木書店、1955年。
☆天理教教会本部編『縞本 天理教教祖伝』天理教道友社、1956年。
村上重良『中山みき』朝倉書店、1959年。
深谷忠正『みかぐらうた講義』天理教道友社、1956年。
村上重良『近代民衆宗教史の研究』増訂版、法蔵館、1963年。
笠原一男・小栗純子『教祖誕生—親鸞と中山みきにみる』日本経済新聞社、1968年。
小栗純子『日本の近代社会と天理教』評論社、1969年。
小栗純子『中山みき—天理教』新人物往来社、1970年。
村上重良・安丸良夫校注『日本思想大系』67、岩波書店、1970年。
諸政政一『正文遺韻抄』天理教道友社、1970年。
深谷忠正『教祖伝講話』天理教道友社、1972年。
松隈青壺編『稿本 天理教教祖伝 参考事典』天理教道友社、1972年。
上田嘉成『おふでさき講義』天理教道友社、1973年。
天理教教会本部編『天理教原典集 附天理教教典』天理教教会本部、改修版、1974年。
小野清一『みかぐらうた入門』天理教道友社、1975年。
☆天理教教会本部編『稿本 天理教教祖伝 逸話篇』天理教道友社、1976年。
村上重良校注『みかぐらうた・おふでさき—民衆宗教の聖典・天理教』平凡社、1976年。
小栗純子『日本の近代社会と天理教』評論社、1976年。
天理大学おやさと研究所編『天理教事典』天理教道友社、1977年。
西山輝夫『ひながたを身近に』天理教道友社、1977年。
芹沢光治良『教祖様』善本社、1978年。
芹沢茂『おふでさき通訳』天理教道友社、1981年。
中山慶一『私の教祖』天理教道友社、1981年。
屋持辰三郎『教祖伝入門十講』天理教道友社、1984。
浜田泰三『新宗教創始者伝・天理教—存命の教祖中山みき』講談社、1985年。
田中義能『神道十三派の研究』下、第一書房、1987年。
平野知一『みかぐらうた叙説』天理教道友社、1985年。
矢島英雄『中山みき研究ノート』立風書房、1987年。
浜田泰三編『現代のこころ—天理教』旺文社、1987年。
石崎正雄編『教祖とその時代—天理教史の周辺を読む』天理教道友社、1991年。
大谷渡『教派神道と近代日本—天理教の史的考察』東方出版、1992年。
☆池田士郎・関一敏・島薗進『中山みき・その生涯と思想』明石書店、1998年。
小滝透『おやさま—天理教教祖中山みき伝』奈良新聞社、2000年。
弓山達也『天啓のゆくえ—宗教が分派するとき』日本地域社会研究所、2005年。
池田士郎『中山みきの足跡と群像—被差別民衆と天理教』明石書店、2007年。
島田裕巳『天理教—神憑りから新宗教へ』八幡書店、2008年。
小澤浩『中山みき—「心直し」から「世直し」を説いた生き神教祖』山川出版社、2012年。 八浜掬泉「天理教の教祖及教理」『六合雑誌』238、1900年。
上田嘉成「天理教教祖伝に於ける年代区分に就て」『宗教研究』4-4、193年8。
白藤義治郎「御本席によりて授けられたるおさづけ考」『日本文化』13、1938年。
上野利一「天理教主要文献」『日本文化』11、1945年。
富永牧太「外国人の天理教研究—文献を中心として」『日本文化』11、1945年。
乾孝他「教祖列伝一天理教」『中央公論』69-8、1949年。
上田嘉成「天理教祖の世界観」『宗教研究』142、1954年。
浜田本悠「天理教祖とその教団」『宗教公論』26-9、1956年。
佐木秋夫「中山ミキ」『講座現代倫理 第7巻 現代的状況における人間』筑摩書房、1958年。
高木宏夫「宗教教団の成立過程—天理教の場合」『東洋文化研究所紀要』6、1966。
田上光治「天理教教祖・中山みきの死生観」『神道学』71、1971。
高橋一郎「土俗宗教論—天理教について」1-2『試行』37・42、1972・75。
小野泰博「中山みき論」『季刊現代宗教』1-3、1975。
佐々木宏幹「受難—教祖の宗教的足跡から」人間社編『天理—心のまほろば、心の本』天理教よのもと会、1977。
島薗進「神がかりから救けまで—天理教の発生序説」『駒澤大学仏教学部論集』8、1977。
島薗進「疑いと信仰の間—中山みきの救けの信仰の起源」『筑波大学哲学・思想学系論集』2、1977。
菱山謙二「天理教教団組織の研究 続」『社会学ジャーナル』1-2、1977。
西山輝夫「文献としての教祖伝通史」『天地』1-6、2-3、1978・79。
川村邦光「教祖における神がかりの意味をめぐって」『論集』7、1980。
島薗進「天理教研究史試論—発生過程について」『日本宗教史研究年報』3、佼成出版社、1980。
島薗進「日本人の宗教意識と聖典—『おふでさき』の文体について」池田英俊他編『日本人の宗教の歩み』大学教育社、1980。
島薗進「天理教における救済史神話」『哲学・思想論論集』1、1982。
川村邦光「スティグマとカリスマの弁証法—教祖をめぐる一考察」『宗教研究』253、1982。
妻鹿淳子「創唱宗教における女性教祖の母性観—如来教・天理教・大本教を中心に」脇田晴子編『母性を問う—歴史的変遷』下、人文書院、1985。
加納宗治郎「忽如、神が天降る—天理教開祖・中山みきの自虐と反逆の生涯」『日本及日本人』1582、1986。
村上重良「中山みきと転輪王信仰」『日本歴史別冊伝記の魅力』1986。
薄井篤子「女性教祖の誕生」『宗教研究』274、1987。
川村邦光「教祖のドラマトゥルギー—カリスマの制度化と継承」宗教社会学研究会編『教祖とその周辺』雄山閣、1987。
松本健一「中山みき・出口なお—かみがかりする女性」『彷書月刊』8-2、1992。
石渡佳美「天理教教団の成立過程と中山みきの女性観」『明治学院大学大学院社会学研究科社会学専攻紀要』16、1993。
松本滋「本居宣長と中山みき—比較思想的考察の試み」『聖心女子大学論叢』88、1997。
岡尾将秀「天理教が発生した条件」『年報人間科学』20-2、1999。
弓山達也「新宗教における分派分立の研究—天理教系教団をめぐって」(大正大学博士論文乙第47号)、2000年。
前田均「住井すゑの歴史偽造—特に中山みきに関する記述を始めとして」『天理大学おやさと研究所年報』7、2001年。
寺田喜朗「内在的理解の方法的地平とは何か—島薗進の中山みき研究再考」『年報社会科学基礎論研究』2、2003。
池田士郎「からだのコスモロジー—中山みきの身体観」『人体科学』13-1、2004。
林泰弘「中山みきの神秘体験に関する文献的考察」『アジア文化研究』11、2004。
池田士郎「中山みきとその時代」『総合教育研究センター紀要』4、2005。
熊田一雄「天理教教祖と「暴力」の問題系」『愛知学院大学文学部紀要』37、2007。
永岡崇「教祖の〈死〉の近代—中山みきの表象=祭祀をめぐって」『大阪大学日本学報』26、2007。
松原浩一郎「天理教教祖中山みきの障害者観」『吉備国際大学研究紀要』21、2011。 天理市史編さん委員会編『天理市史 上巻』天理市、1976。
天理大学おやさと研究所編『天理教事典』天理教道友社、1977。
井上順孝・孝本貢・対馬路人・西山茂編『新宗教教団・人物事典』弘文堂、1996。

*国史大辞典、日本人名大辞典 寛政10年(1798) 6月2日(陰暦4月18日)、大和国山辺郡西三昧田村で父前川半七正信、母きぬのもとに誕生[教祖伝]。
文化7年(1810) 10月13日(陰暦9月15日)、13歳で、山辺郡庄屋敷村の中山家、善兵衛(23歳)に嫁ぐ[教祖伝]。
天保9年(1838) 12月9日(陰暦10月23日)、長男・秀司の足痛をおさめる寄加持のため、みきが加持台になったところ、神がかり状態となる[教祖伝]。
天保9年(1838) 12月12日(陰暦10月26日)、みきが「月日のやしろ」に定まる[教祖伝]。
嘉永6年(1854) 夫善兵衛死去、中山家の母屋を売り払う[教祖伝]。
安政2年(1855) 残っていた三町歩の田畑を年切質に入れて施す[教祖伝]。
慶応2年(1866) 「あしきはらひたすけたまへてんりわうのみこと」の歌と手振りを教える。初代真柱・中山眞之亮誕生[教祖伝]。
明治2年(1869) 「おふでさき」執筆を開始[教祖伝]。
明治7年(1874) 12月23日、奈良県庁より出頭を命じられる[教祖伝]。
明治8年(1875) 「ぢば」定めを行う。9月25日、奈良県庁より呼び出され、留置、取り調べを受ける[教祖伝]。
明治15年(1882) 5月12日、奈良警察署が「かんろだい」の石を没収する。10月29日〜11月9日、奈良監獄に拘留される。以降たびたび拘留される[教祖伝]。
明治19年(1886) 2月18日〜3月1日、櫟本警察分署に最後の留置をされる[教祖伝]。
明治20年(1887) 1月4日、容態急変。2月18日(陰暦1月26日)、死去、享年90[教祖伝]。 - 中山美支『おふでさき』中山正善、出版年不明。
中山みき(村上重良校注)『民衆宗教の聖典・みかぐらうた・おふでさき』平凡社、1992。 教派神道(神道教派) - - - - - - - 文化~慶応 明治0年代 明治10年代 明治20年代 - - - - - - 「教祖伝」=天理教教会本部編『縞本天理教教祖伝』天理教道友社、1956。
「おふでさき」=中山美支『おふでさき』中山正善、出版年不明。
「中山美伎子」=渡辺霞亭『天理教祖中山美伎子』育文館・興風書院、1910。
「偉人警句集」=宮地猛男『偉人警句集—処世修養』応来社書房、1914。 - 1

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