テキスト内容 | 古代には名のタブーがあり、名にはその人の霊魂が篭められていると考えられていた。神が訪れて村の少女に名を聞くのは、相手の魂を手に入れるためである。雄略天皇が春の丘辺に来て少女に「家聞かな 名告らさね」(1-1)というのは、名を聞くことで相手の魂を手に入れ、結婚へと進むことが可能だからである。また、この時天皇が「我こそは告らめ 家をも名をも」(同上)というのは、名告りによって相手を屈服させる方法である。折口信夫はまれびとが訪れて、土地の精霊を屈服させる方法として名告りの問答をするのだというのは、名が神の来歴を示したことによる。この名告りは、恋の歌に多く用いられ「梓弓引きつ野辺なる名告りその花摘むまでに逢はざらめやも名告りその花」(7-1279)のように、相手や他人に名を教えないことを、「名告りそ」(名は告げないで)で比喩する。「名告りそ」とは海藻のホンダワラの古名であり、言葉遊びをして楽しんでいるのである。あるいは、「隠沼の下ゆ恋ふればすべをなみ妹が名告りつ忌べきものを」(11-2441)のように、逢うことも出来ずに恋していると堪えられなくなり、とうとう彼女の名を叫んでしまったという。それは「忌む」へきことであったと、後悔するのである。折口信夫「国文学の発生」『全集1』(中央公論社) |
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