わかのうら

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名わかのうら;若の浦
+表記若の浦
TitleWakanoura
テキスト内容和歌の浦。和歌山市南西部の湾岸一帯。続紀によれば、724(神亀1)年10月8日に聖武天皇は玉津島に行幸し、玉津嶋頓宮に滞在。同月16日に山海を眺め、「弱浜(わかのはま)」と呼ばれていたその地を、景勝にちなみ「明光浦(あかのうら)」と称し、守戸を置いた。さらに春秋に官人を遣わし「玉津島の神・明光浦霊を奠祭せよ」と祭祀を定めている。山部赤人の6-919の反歌はこの時に詠まれたもの。764(天平神護1)年10月18日に玉津島への行幸が見られる。聖武・称徳・桓武はこの地にしばしば滞在している。春秋の例祭は3、9月の「二の卯日」(『紀伊国名所図絵』)となっており、この時に勅使が遣わされている。「神代より然そ尊き玉津島」(6-917)とあり、玉津島一帯は玉出島ともいい、玉のように海中に点在していたと考えられる神の集う島である。神功皇后が朝鮮に赴く際に玉津島の神が霊威をあらわしたため、御分霊を天野の地に鎮め、以来、玉津島・天野に一神両所に並び立ち、毎年天野の祭礼に神輿がはるばる天野から玉津島に渡御する「浜降りの神事」が応永(1429)の頃まで行われた。12-3175もまた、風光明媚な地でだけでなく神の集う神秘なイメージが投影されたものか。
+執筆者毛利美穂
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32420
-68984402009/07/06hoshino.seiji00DSG000810わかのうら;若の浦Wakanoura和歌の浦。和歌山市南西部の湾岸一帯。続紀によれば、724(神亀1)年10月8日に聖武天皇は玉津島に行幸し、玉津嶋頓宮に滞在。同月16日に山海を眺め、「弱浜(わかのはま)」と呼ばれていたその地を、景勝にちなみ「明光浦(あかのうら)」と称し、守戸を置いた。さらに春秋に官人を遣わし「玉津島の神・明光浦霊を奠祭せよ」と祭祀を定めている。山部赤人の6-919の反歌はこの時に詠まれたもの。764(天平神護1)年10月18日に玉津島への行幸が見られる。聖武・称徳・桓武はこの地にしばしば滞在している。春秋の例祭は3、9月の「二の卯日」(『紀伊国名所図絵』)となっており、この時に勅使が遣わされている。「神代より然そ尊き玉津島」(6-917)とあり、玉津島一帯は玉出島ともいい、玉のように海中に点在していたと考えられる神の集う島である。神功皇后が朝鮮に赴く際に玉津島の神が霊威をあらわしたため、御分霊を天野の地に鎮め、以来、玉津島・天野に一神両所に並び立ち、毎年天野の祭礼に神輿がはるばる天野から玉津島に渡御する「浜降りの神事」が応永(1429)の頃まで行われた。12-3175もまた、風光明媚な地でだけでなく神の集う神秘なイメージが投影されたものか。811わかのうら若の浦毛利美穂わ1

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