テキスト内容 | 死者の赴く世界。あの世。下に名詞を伴った複合語では「ヨモツ~」という形を取り、ヨモとなる。ヨミ・ヨモは、ヤミ(闇)あるいはヤマ(山)の転ではないかと考えられている。「黄泉」は地下の冥界を意味する漢語で、それに和語ヨミ・ヨモがあてられた。漢語「黄泉」が移入される以前から、ヨミ・ヨモにそれを地下世界と観想する心意があったことを窺わせる。しかし、ヨミの世界を最も詳しく描いた記の伊耶那岐神の黄泉国訪問譚にはヨミを地下世界とする徴証が見られないことから、ヨミは地下世界とは認められないとする説もある(『新全集』)。万葉集では、「乾鰒がどうして生き返ることがあろうか」という歌の「よみがへりなむ」(3-327)、死去した弟の行く世界を指した「遠つ国 黄泉の界(さかひ)に」(9-1804)、二人の男性から求婚され悩んだ菟原娘子が自ら命を絶つ直前に母に語った言葉の中の「ししくしろ 黄泉に待たむ」(9-1809)の3例が認められる。いずれにもヨミを地下世界と認める徴証はないが、死に関わって現れていることは明らかである。記でも、黄泉国は、火の神を生んで神避り比婆之山に葬られた伊耶那美神の存在するする世界として描かれており、また黄泉戸喫(よもつへぐひ)をして黄泉国の住人となった同神は、夫伊耶那岐神との事戸渡しにおいて葦原中国の蒼人草(人間)を一日に千人殺すと言っている。更に風土記(出雲国・出雲郡)では、猪目洞窟が現世とヨミとを隔てる「黄泉之坂・黄泉之穴」とされ、夢にこの洞窟に至ると必ず死ぬという話が伝わる。いずれの場合も、ヨミが死や葬送に関わる世界として語られていることは確かで、この世界が死や葬送と深く関わって観想されたことは動かしようのない事実と認められる。なお、記紀に見られるヨミの世界の描写に関しては、考古学や民俗学の方面から、横穴式石室の葬制や、腐乱するまで死体を覗く沖縄のかつての風習との関連が注目されている。 |
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