テキスト内容 | 旧訓ではヨコモリであったが、『代匠記』にヨナハリと改訓。但馬皇女が葬られた「吉隠の猪養の岡」(2-203)がどこであったかは不明。現在、奈良県桜井市に吉隠の地名が残る。現在の吉隠は桜井市初瀬と宇陀郡榛原の間にある山地だが、当時はこれより広い範囲にわたっていたと考えられる。吉隠を通る古道は、遠く伊賀、伊勢へとつづく旧伊勢街道(青越道)。聖地につづく街道であり、また「道」とは、山にあっても山に属せず、人の世界にあっても人に属さない異界であるために神祭りが行われる場所であり(祝詞道饗祭他)、聖・邪が発生する場所でもある。吉隠の「ヨ」は吉事や賀詞の意、また「ナバリ」または「ナバル」は隠れるという意であり、「単に隠れる事でなく、人に見られまいとして内に籠る容子を言ふ語」(折口信夫)とある。山に隠れた聖なる場所、山のあいだにある聖地であったと考えられる。吉野の聖地へ通う持統天皇は、695(持統9)年10月に「菟田(うだ)の吉隠に幸(いでま)す」「吉隠より至(かへりおは)します」と吉隠へ行幸している(持統紀)。光仁天皇の母の吉隠陵(春日宮天皇妃陵)がある(『延喜式』)。吉隠の歌5首中、4首が奈良遷都後のもの。 |
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