テキスト内容 | 寝床。ユトコとも。紀・仁徳天皇が八田皇女を妃としようとしたことに対し、皇后はそれを許さず「衣こそ二重(ふたえ)も良きさ夜床を並べむ君は畏きろかも」と答える。衣を二重にかさねて着るのも良いが、夜床を(皇后と八田皇女を)並べようとするとはおそろしいことだという。この夜床は「さ夜床」とあり、単なる寝床をさすのではない。サは接頭語ではなく、神聖さを持った語であると指摘できることから、ここでは仁徳を神に見立てた「神との共寝」を意味していると考えられる。「沖つ御神(みかみ)にい渡りて」(18-4101)、「筑波嶺のさ百合の花の夜床」(20-4369)とあり、筑波山が神の山であることから、いとしい恋人(妻)との共寝の懐かしさを歌うと同時にこれらは神の存在を示唆している。また、2-194は儀礼的な挽歌であり、亡き夫・川島皇子の夜床をさす。すなわちこれも単なる寝床と解釈するには無理があろう。3首共に実際に共寝できない寂しさが描かれる。記紀に神との対話を求める儀礼的な床を「神床」というが、神との交流を求める様に、いとしい恋人(妻)への思いを重ね合わせたものか。漢詩では夜床は秋と結びつくことが多く、秋の夜長の寂しさ等が描かれる。 |
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