テキスト内容 | 「生涯、一生、寿命、年代、世の中、世間」などの意。「この世にし楽しくあらば来む生には虫に鳥にもわれはなりなむ」(3-348)のように「世」「生」を捉えるならば、今生、来世をめぐる輪廻転生の仏教観をあらわすことになる。「君が代もわが代も知るや磐代の丘の草根をいざむすびてな」(1-10)は、結び松の民俗信仰に支えられ、「代」が「命」として顕わになってくる。「人言を繁み言痛み己が世に」(2-116)は、生涯という意味での「世」である。「遠き代に 神さびゆかむ 行幸処」(3-322)は、「代」を時間・時代の意味に用いている。「うつせみの世は常なしと」(3-465)は、「世は常なし」と用いられることで、世間無常の仏教思想と結びつく。ところで「霊」「穀」をも「よ」という言葉で捉えようとしたのは、折口信夫で、彼は「『よ』を言ふ語の古い意義は、米或は穀物の義から出て、年を表すことになつたのを見る方が正しいと同じく、此と同義語の『よ』が、齢・世など言ふ義を分化したものと見られる。」(旧全集第2巻)と。当然「常世」とも連接し、壽詞(よごと)と魂との関連で捉えれば、「此を唱へると、唱へかけられた人に、唱へ方の魂が移るのである。此唱へ言の、最小限度のものが、諺である。」(旧全集3巻)と述べる。折口によれば、壽詞(よごと)が服従の言葉になる背景もここから理解できるという。「服従を誓ふ為には、自分等の威力の源たる魂(よ)を献る。それが、主上の権威を増すと共に、健康を益し、さうしてそれが寿命(ヨ)を長くするものと考へられた。」(旧全集20巻)というのである。 |
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