テキスト内容 | 夕方に衢(ちまた)や家の門近くで行われる占いのこと。「夕(ゆふ)占(うら)」ともいうか。どのように行われたかは不明。鎌倉時代に成立した、平安時代の貴族の生活の様子を記す『二中歴』には、「ふなとさへ夕占の神に物問はば道行く人よ占まさにせよ」という歌を3度誦え、堺を区切り、米を撒き櫛の歯を鳴らし、その後にその堺に入ってきた人か、屋内の人の声を聞いて吉凶を知るという記述がある。これに基づき、「夕占」も「夕方、通行人の声などから吉凶を占うこと」と理解されることが多い。しかし上代の用例には、堺も米も櫛も登場しないし、人の声による吉凶の判断と思われる例もない。そこで、あらためて上代の「ゆふけ」の用例を見ると、まず「八十の衢に 夕占問ふ」(11-2506)、「八十の衢に 夕占にも」(16-3811)という表現や、「夕衢占(ゆふけ)」(3-420)という文字列から、夕方の衢で行われたことは疑いない。また、衢ばかりでなく、「門に立ち 夕占問ひつつ」(17-3978)と門のそばで行われることもあった。一方、「逢はなくに夕占を問ふと幣に置くに我が衣手はまたそ継ぐべき」(11-2625)からは、「幣」として自らの「衣手」を切って置いたことが分かる。さらに、「夕占にも 占にも告れる」(11-2613)、「夕占にも 占にもそ問ふ」(16-3811)から「夕占」と「占」とは区別されていたと思われ、「夕占問ひ 足占をそせし」(4-736)からは「夕卜」を問うとともに、自らは「足占」(詳細不明)をしていることも見て取れる。そして、万葉集に9例見られる「夕占」のうち8例までが相聞歌であるところを見ると、基本的に思い人に逢えるか逢えないかを占ったもののようである。相聞歌に用例が偏るのもこのためか。ただし、ことさら「夕占」と時間を示していることを考えると、相聞歌故に「夕占」が詠われるだけであり、実際には朝や昼にも「占」があったという可能性は否定できない。→<a href="http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68955">ゆううら〔夕卜・夕占〕</a> 和田萃「夕占と道饗祭」『日本古代の儀礼と祭祀・信仰 中』(塙書房)。 |
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