テキスト内容 | 楮(こうぞ)の皮を晒(さら)し、その繊維をほぐし白い糸状にしたもの。麻の繊維で作ったものをマソユフという。神への幣帛(ぬさ)として用いた。大伴坂上郎女の「神を祭る歌」(3-379、380)において、奥山から取ってきた榊(さかき)の枝に「木綿を取り付け」、あるいは「木綿畳」(木綿を折り畳んだものか)を手に取り持って神を祭る姿が詠まれている。また石田王挽歌(3-420)では「木綿たすき」を腕(かひな)にかけて神に無事を祈るさまが見える。「木綿懸けて 祭る三諸(みもろ)の」(7-1377)、「木綿懸けて 齋(いは)ふこの神社(もり)」(7-1378)とあって、神を祭り、齋うために木綿を懸けるのである。また羈旅歌にも見え、四泥能埼(しでのさき)で「木綿取り(し)でて」(木綿を垂らし下げて)旅中の安全を神に祈願した歌(6-1031)もある。このように旅にあって要所要所で、土地の神に幣帛を奉って手向けをするところから「木綿畳 手向の山を 今日越えて」(6-1017)のように、「木綿畳」が「手向の山」という地名に懸かる枕詞として用いられるようにもなる。「木綿畳 田上山(たなかみやま)の さな葛」(12-3070)も枕詞として用いられている例である。以上のように木綿が神祭りの幣帛として歌われていく中で新たな展開も見せる。笠金村の吉野離宮行幸歌(6-909、912)では、吉野川に落ち激つ波や水沫を「白木綿花(ゆふはな)」「泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花」と表現している。これは吉野川の美しい景物を、神に捧げる木綿と見立てたもので、神事物に美的形象化がなされているといえよう。むろん「木綿」は神事とは無関係に詠まれることもあり、「虚木綿(うつゆふ)の 隠りてをれば」(9-1809)、「肥人(こまひと)の 額髪(ぬかがみ)結(ゆ)へる 染(し)め木綿の 染(し)みにし心」(12-2496)〔肥人には色染めにした木綿を鉢巻にする習俗があったらしい〕、「淡海の海 白木綿花に 波立ちわたる」(13-3238)のようにも詠まれている。柿本人麻呂の高市皇子挽歌(2-199)では「木綿花の」が「栄ゆ」の枕詞として用いられている場合もある。 |
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