テキスト内容 | 維摩経を講ずる法会。維摩会。維摩経は、在家の長者・維摩詰(きつ)の病気に際して見舞いに行った文殊菩薩と維摩詰の問答、維摩詰による「空」の境地を説いたもの。維摩講は、藤原鎌足によって創始され、毎年10月に行われる(『藤氏家伝』鎌足伝)。鎌足の病に際し、維摩経「問疾品(もんしつほん)」を誦ませたところ、たちまち病が平癒したとある(『興福寺縁起』維摩会)。維摩講は呪術的な病人祈祷として始まり、この維摩講と病気平癒の結びつきは、少なくとも8世紀段階には認識されていたと思われる。鎌足による創始と死後の中断、そして705(慶雲2)年7月、不比等が病臥不豫となり「誓願」して再興。不比等没後に次第に衰えるが、733(天平5)年3月、光明皇后の「重願」で復興した(8-1594題)。その後、藤原仲麿によって財源が強化され、維摩講は藤原氏による法会から、国家の関与する法会へと発展。光明皇后による皇后宮での維摩講は、鎌足70回忌の供養と考えられるが、同年3月が皇后の母・県犬養橘三千代の四十九日にあたり、同5月には皇后が「枕席不安」の状態にあるため(『続日本紀』)、母の追善供養と皇后自身の病気平癒も目的であったと考えられる。 |
---|