テキスト内容 | バラ科の落葉低木。春に黄色い花が咲く。款冬とも書く。万葉集に19例見え、その半数は恋歌である。「山吹のにほへる妹が朱華色の赤裳の姿夢に見えつつ」(11-2786)は、山吹のように赫く妹だと褒める。また、山吹の花を観賞する態度も見られ、「蝦鳴く甘奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」(8-1435)のように、河鹿と川に影を映して咲く山吹とが一対として詠まれ、あるいは「鶯の来鳴く山吹」(17-3968)とも詠まれる。鑑賞の対象となった山吹は、「繁山の 谿辺に生ふる 山振を 屋戸に引き植ゑて 朝露に にほへる花を 見る毎に 思ひは止まず」(19-4185)のように、庭園に植えられて行く。このような山吹の花への態度は、単に鑑賞のみの問題ではないように思われる。ある宴会での歌に「山吹の花の盛りにかくの如君を見まくは千年にもがも」(20-4304)とあるように、主人の長寿を山吹の花に寄せて願っている。山吹の花と長寿との関係は、古代の人たちに信仰されていた可能性があろう。例えば、十市皇女が薨じた時に高市皇子の詠んだという歌に「山振の立ち儀ひたる山清水酌みに行かめど道の知らなく」(2-158)がある。山吹の花が美しく咲き飾っている山清水があり、その清水を酌みに行きたいのだが道を知らないのだという。この水が手に入れば、愛する皇女の復活が可能だということである。生命の泉の辺には生命の木があるという世界的な信仰から見れば、山吹は生命の木であり、その花は黄金の色に輝き、その辺の清水は生命の水であることになる。高市皇子は「伝説上の生命復活の泉」(『講談社』)を理解していたことになる。 |
---|