- | 68944402009/07/06hoshino.seiji00DSG000770やまつみ;山祇Yamatsumiヤマは山、ツは連帯格の助詞、ミは神霊。ヤマ(山)ツ(の)ミ(神霊)で、山の霊、山の神を表す普通名詞。万葉集では柿本人麻呂の吉野讃歌(1-38)に、「川の神」と共に天皇に御調を奉る神として「山神」の表記が見え、ヤマツミと訓ぜられている。しかし、本来ヤマツミと対になるのは同じ語構成を持ち海の神霊を表すワタツミであったであろう。ただ、万葉集に見える両者の用例数は、ワタツミが22例を数えるのに対して、ヤマツミはこの人麻呂歌の1例しかない。ワタツミの用例には単なる「海」の意に傾いて用いられているものも含まれるとはいえ、語としての両者の使用頻度には際だった差が認められる。記には普通名詞としてのヤマツミの例は見られないが、伊耶那岐・伊耶那美二神による神生みの段に大山津見神の、火神被殺の段に正鹿山津見神以下八柱の山津見神の生成が語られている。同様の山津見神の生成の話は紀にも見られるところである。これら各種の山津見神の代表的神格として意識されたのが、最初に生成された大山津見神であると思われる。同神は、記に即して言うならば、生成された後、八岐大蛇の段で須佐之男命に櫛名田姫を奉る足名椎・手名椎夫婦の親神として、天孫降臨の段で迩々芸命に奉られた石長比売・木花之佐久夜□[田+比]売の親神として、また須佐之男命の系譜では、同神の妻神大市比売の親神としてその名が認められる。何れも親神として登場するのみで、その領する世界を含めて、神自身の具体的姿を明らかにするような記述は見られない。これは、対の神格と考えられるワタツミが、紀では「小童命」と表記され、童形と観想されていたらしいこと、また海幸山幸の話で、山幸の赴いた先が「綿津見神之宮」(記)「海神之宮」(紀)として、その領する世界がより具体的に描かれていることとは対照的である。もっとも、紀・神代上第七段一書第二に見える「山雷者」をヤマツミと訓じた例(『日本紀私記』乙本)があり、ヤマツミに雷神的性格が考えられていた可能性もある。また、広く山の神ということであれば、ヤマトタケルノミコトの東征譚において伊吹山の神が白猪(記)、あるいは大蛇(紀)となってミコトを苦しめたとあり、そこに山の神のイメージの一端を窺い知ることはできる。しかし、「山雷者」については訓の一例に過ぎず、伊吹山の神の例にしてもミコトは白猪や大蛇を山の神自身とは認めなかったわけで、これらを直ちにヤマツミの本質的な理解に結びつけてよいものかどうか疑問が残る。,771やまつみ山祇渡部修や1 |
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