テキスト内容 | ①山の川。②山と川。①は、人麿歌集に「あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る」(7-1088)と詠まれ、山から流れ来る川の轟く音の中に神々の霊気や霊力を感じている。②は、人麿が吉野へ従駕して詠んだ歌に「やすみしし わご大君の 聞こし食す 天の下に 国はしも 多にあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の」(1-36)、とあり、天皇の統治する天下の中でも、山川の清い吉野に心を寄せたという。この山川は吉野の山と吉野の川を指し、これをもって一対とするのである。後に大伴旅人は「み吉野の 芳野の宮は 山柄し 貴くあらし 水柄し 清けくあらし 天地と 永く久しく 万代に 変らずあらむ 行幸の宮」(3-315)と詠むのは、この吉野を山水清浄の地と考え、「山=貴」「水=清」「天地=長久」「万代=不変」であるというように、漢文学のレトリックによるものである。山水が貴く清いというのは、論語の「山水仁智」に基づくものであり、また天地長久・万代不変は老子の思想である。吉野という神々の地は、人麿の時代に漢文脈の中に組み込まれて、吉野の神々の聖地の上に、天皇が山水自然の徳を有する儒教的・老荘的な聖天子として賞賛されたのである。 |
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