テキスト内容 | 上代のヤナギには①在来の枝を垂れないカハヤナギ(一名ユキヤナギ)②渡来の枝を垂れるシダレヤナギとがある。万葉集では、①は楊②は柳と書き分けがあるとされる。また単にヤナギと表現される場合には用字に拘わらずシダレヤナギを指すとする考えもある。万葉集では題詞・前文・漢詩・左注にあり、歌では他にアドカハヤナギ・アヲヤナギ・カハヤナギ・サシキヤナギ・ハルヤナギなどと詠まれる。ヤナギは春に芽吹くことから春の景として詠まれることが多く、またその生命力の旺盛さが詠まれてきた。刈っても刈っても生えてくることを詠んだ歌(7-1293)や、相聞歌で人は死ぬと復活しないことを強調する逆説的比喩として用いられることもある(14-3491)。顕宗紀では室寿の詞章が唱えられたあとに、「ヤナギは川の流れに従って靡いたり起きあがったりするが、その根は無くならない」とあり、根の力強さを歌うこの歌は寿歌として伝承されていたという考えもある。ヤナギは生命力の旺盛さゆえ神聖視されていたようである。ヤナギのかづらが万葉集の歌に表れてくるのにも、こうしたヤナギの特殊性が根底にはあるといえよう。かづらに元来、多くの植物が使われるのは、植物のもつ旺盛な生命力を身につけようとする感染呪術が指摘されている。その他、ヤナギを地に刺して根が付くか否かによって恋の成就を占う例が東歌にある(14-3492)。後世、各地の伝承では弔い開けの塔婆にヤナギを用いる風習もひろく、根がつけば仏が生まれかわったしるしだと伝えられる地方もある。この歌では、ヤナギと表現されてはいるが、成る成らぬというきわめて民俗的な信仰が歌われているとし、我が国のヤナギがふさわしく、万葉のヤナギは在来のカハヤナギからシダレヤナギへの過渡期であり、ヤナギの歌にカワヤナギが混在する可能性を認める考えもある。 |
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