テキスト内容 | 記紀に載る大国主神の別名。万葉集には2例ある。記では「八千矛」、紀では「八千戈」と表記されることから武神と解釈もされるが、男根を象徴するという説もある。しかし、「矛」が記の中では伊耶那岐命・伊耶那美命の国土の修理固成の際に使用した「天沼矛」と名前が重なることや、記紀での表現のあり方などから、記紀の中では国作りの神としての性格が強いとされる。また、「矛」は祭祀具として用いられてもおり、王権の象徴と解釈する説もある。記では歌謡2~5までの一連の高志の沼河比売求婚譚の歌謡物語に登場する。この神が歌語に取り入れられるのは、岸正尚によれば「八千桙の 神の御世より…(中略)…語り継ぎ」(6-1065)「八千戈の神の御世よりて…(中略)…継ぎてし思へば」(10-2002)といった類型的な表現、特に「神の御世より」として示される初源の状態、すなわち国土生成の時ということを規定する意味があったと考えられる。そして、記ではこの神の鎮座を語るための歌謡であり、「八千矛」という呼称はそのときだけに使用される聖なる名前だとされる。この記の歌謡は、形式的に見ても新しく、万葉集の用例も七夕という外来的な行事の中での用例であり、いわば「近代的な理解」がなされ、出雲の神が、歌謡に取り込まれたことによって倭に受容された神であるという。しかし、万葉集ではそうした政治性とは無関係で、田辺福麻呂の1065では前述の通り、まずは初源を表すイメージによって使用されている。2002では七夕の歌であり、「乏し妻人知りにけり」と、さらに妻問いのイメージが重ねられている。岸正尚「八千矛の神の命」『古事記研究体系 古事記の神々』上(高科書店)。 |
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