桃
もも
大分類 | 万葉神事語辞典 |
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分野分類 CB | 文学 |
文化財分類 CB | 学術データベース |
資料形式 CB | テキストデータベース |
+項目名 | もも;桃 |
+表記 | 桃 |
Title | Momo |
テキスト内容 | バラ科の落葉木。春に淡紅色の花を咲かせ、果実は球形で美味。日本では中国から輸入されて、天武・持統朝には栽培されていた。記紀には邪鬼を祓う桃の実が登場する。これは、墓に桃が植えられていたことから生じた話であろう。中国では崑崙の山に桃の木があり、三千年に一度実をつけ、西王母はその実を食べて不死であったという。紀には綏靖天皇や倭彦命を桃花鳥田丘や桃花鳥坂に葬ったといい、蘇我馬子を桃原の墓に葬ったとある。桃と墓との関係を示していて、興味深い。万葉集には「向かつ峰に立てる桃の木成らめやと人そささやく汝が心ゆめ」(7-1356)、「日本の室原の毛桃本繁く言ひてしものを成らずは止まじ」(11-2834)のように、実のなることと恋の成就することが重ねて詠まれている。このような桃が中国の詩文の受容により大きく変化する。『懐風藻』には「階前桃花映」(美努浄麻呂)、「花舒桃苑香」(安倍広庭)、「紅桃半落軽錦」(藤原宇合)、「園池照灼桃李笑」(藤原万里)などのように、宮中の桃や貴族の庭園の桃が描かれる。そうした桃李の表現が万葉後期の家持による「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女」(19-4139)のような桃の花の歌へと成長したのであろう。題詞に「三月一日の暮に春苑桃李の花を眺□[目+属]して作れる」と記していて、続いて庭に白く残るのは李の花か雪かと詠む。2首合わせて桃李の花を詠むように、桃と李の花を合わせることが漢詩のスタイルであったからで、そこにこの時代の美学が存在した。一方、桃の木は崑崙の山に生える生命の木であり、生命の木の下に西王母が佇むというイメージは、正倉院御物の「鳥毛立女図屏風」の図柄でもある。生命の木である桃と少女との組み合わせは、桃の木と西王母を想起させるが、そこには1日から3日の上巳へと向かう詩作の時間が予期されていた。まず1日の夕暮れの薄闇の中に輝くばかりの桃の花と少女が幻想され、その幻想の中に家持の詩的風景が現れたのである。続いて李の花が詠まれることで、その両者によって桃李のごとき妖艶な少女の像が現れるのである。その少女の像は、『玉台新詠』に見る春苑の女性を思わせる。 |
+執筆者 | 辰巳正明 |
コンテンツ権利区分 | CC BY-NC |
資料ID | 32361 |
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