テキスト内容 | ①物部氏。②部民。③多くの氏・伴・百官に掛かる枕詞。①は、和銅元年の元明天皇即位の年の歌に「ますらをの鞆の音すなり物部の大臣楯立つらしも」(1-76)と見え、この時の物部の大臣は物部一族の石上麿である。物部氏は仏教反対の態度を取り蘇我氏との戦いで破れた。律令時代に入り、一族の石上・榎井らは復活した。この歌には、かつての天皇守護の軍隊として仕えた物部氏の栄光を取り戻した大臣の姿が詠まれている。②は、東国から防人に徴用された部民の名に物部秋持・物部古麻呂・物部乎刀良などと見える。③は「物乃布能 八十氏河尓」(1-50)、「物乃負能 八十伴男乎」(3-478)のように「八十(やそ)」に掛かる。そこから氏河や伴男が導き出されている。八十氏は朝廷に多くの氏が臣下として奉仕していることを指し、八十伴男は宮廷守護のみならず宮廷雑事に奉仕する者たちを指し、そのように多くの奉仕者がいる朝廷に対し、その繁栄を褒めているのが「もののふの」の枕詞である。天皇を神の子孫と考えるなかで、天皇への奉仕を喜ぶ心が「天皇の 行幸のまにま 物部の 八十伴の雄と 出で行きし 愛し夫は」(4-543)、「食国を 治め賜へば 沖つ鳥 味経の原に 物部の 八十伴の雄は 廬して 都をなしつ 旅にはあれど」(6-928)のように見える。この枕詞「もののふ」の中で「秋野には今こそ行かめもののふの男女の花にほひ見に」(20-4317)のような用い方が現れる。「もののふ」が「男女」に掛かる唯一の例であるが、その掛かりは八十氏・八十伴を基本とすれば、八十の氏・伴の男女の廷臣・百官たちを指すことになる。 |
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