テキスト内容 | 家。石室をも指す。古代では人の住む建物は「屋戸(やど)」が一般的となる。屋戸が庭園を構えた建物を指すのに対し、室は質素な建物を指した。元正太上天皇と聖武天皇が左大臣長屋王の佐保宅へ行幸し、宴が開かれた時に太上天皇は「はだ薄尾花逆葺き黒木もち造れる室は万代までに」(8-1637)と詠み、聖武天皇は「青丹よし奈良の山なる黒木もち造れる室は座せど飽かぬかも」(8-1638)と詠む。この「室」は「やど」とも訓まれるが、室と表記するところから屋戸と重なりながら室の意味を強く持つ。長屋王の佐保の邸宅では、天皇を迎えるに当たり臨時に室を造ったのであろう。黒木は木の皮を剥がさない状態の材木であり、しかもその室は薄を逆葺きにして覆った建物である。ここには、世俗を離れた山家の風流をもって貴人を迎える長屋王の気遣いがあり、室は粗末な建物であると同時に貴人を迎えるための風雅が意図されている。また、人麿の歌集に「新室の壁草刈りにいましたまはね草の如寄りあふ少女は君がまにまに」(11-2351)、「新室を踏みしづむ子が手玉鳴らすも玉の如照らせる君を内にとまをせ」(11-2352)の旋頭歌がある。室の新築に当たり女性たちが壁草を刈りに行くのだが、周りの若者たちに一緒に草刈りに行くのを誘う歌が1首目であり、続いて新室を踏み鎮める女性の手玉の音が鳴り、玉の如く輝く君を内へと誘う歌が2首目である。紀には新室寿の寿詞が載り、新築の折には特別な神事が行われた。たしかに、2首目では新築の土地を踏み鎮める女性の手玉の音から神事が行われていることが想定され、その玉のように輝く君を内へと勧めるところからは、巫女により迎えられた神来臨の名残が窺えよう。この新室は人の住む建物ではなく、神や貴人を迎えるための室であり、この2首の歌では神迎えの建物であった可能性がある。そこでは男女の歌垣の神事も行われていたことを窺わせるのが、1首目の誘い歌であろう。折口信夫は「此日神を請ずる家が『新室』と称へられた。昔から実際新しい建て物を作るのだと考へられて来てゐる。だが、来臨したまれびとの宣り出す呪詞の威力は、旧室を一挙に若室・新殿に変じて了ふのであつた」と述べている。新室はマレビトを迎えるために作られる、神来臨の建物だと考えたのである。折口信夫「御即位式と大嘗祭と」『全集18』(中央公論社)。 |
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