みそぎ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名みそぎ;禊ぎ
+表記禊ぎ
TitleMisogi
テキスト内容水を用いて罪や汚れを洗い清める意。管見に入った限り、仮名書き例は「秡除(美曽岐須)」(『日本紀私記 乙本』)しかなく、「み」、「そ」の甲乙は不明。また、「き」の清濁についても、当初から濁音だったのか、後に濁音化したものか不明。「み」の甲乙が不明の為に、語源についても「身(乙類)+注(そそ)く」、「身+濯(そそ〔すす〕)ぐ(く)」、「水(甲類)+濯ぐ(く)」などが挙げられ、語源及び音韻についてさまざまに言われている。しかし、「み」を「水」とすると、「みそぎ」の語の成立時にすでに「水」と「濯ぐ(注く)」とに意味の重複が存在していたことになる。また、「み」を「身」とする説については、「吾者為御身之禊而」(古事記、上巻)の文字列が参考になる。この文字列は、「我は御身の禊(みそぎ)して」と訓まれるのが一般的であるが、こちらも「身」と「みそぎ」との重複が存在する。しかし、この重複は「みそぎ」の一語性が高まり、その語源が不明になってからの表現と捉えることも可能である。この比較から「み」の語源を「身」とする方が説得的か。「そぎ」の部分の語源はなお不明だが、「そそ(すす)ぐ(く)」など水に関わる動詞である可能性が高かろう。一方、万葉集の「みそぎ」を見ると、①「天の川原に 出で立ちて 潔身而麻之乎(みそぎてましを)」(3-420)、②「明日香の川に 潔身為尓去(みそぎしにゆく)」(4-626)、③「三津の浜辺に 潔身四二由久(みそぎしにゆく)」(4-626異伝)、④「しのふ草 祓へてましを 行く水に 潔而益乎(みそぎてましを)」(6-948)、⑤「清き川原に 身秡為(みそぎして)」(11-2403)の5例あり、いずれも水を利用して、罪や汚れを洗い清める意に用いられ、これを「みそぎ」の原義と考えてよいだろう。ただし、『類聚名義抄』の「禊」には「ハラヘ」と「ミソギ」の両訓が存在し、「みそぎ」と「はらへ」との混同が早くから起きていたことがわかる(前掲『日本紀私記 乙本』の「秡除」も「はらへ」系に訓むべきである)。万葉集にあっても、11-2403の人麻呂歌集歌の「身秡為」を「みそぎして」と訓むと、人麻呂歌集編纂の段階で、文字レベルにあっては「祓」(秡)と「禊」との混同が始まっていたともいえる。しかし、6-948のように「はらへ」と「みそぎ」とを明確に区別している例もあり、文字の混同と語義の混同とを同一視してよいかどうか、問題が残る。西宮一民「ミソキとハラヘ」『上代祭祀と言語』(おうふう)。
+執筆者村田右富実
-68892402009/07/06hoshino.seiji00DSG000718みそぎ;禊ぎMisogi水を用いて罪や汚れを洗い清める意。管見に入った限り、仮名書き例は「秡除(美曽岐須)」(『日本紀私記 乙本』)しかなく、「み」、「そ」の甲乙は不明。また、「き」の清濁についても、当初から濁音だったのか、後に濁音化したものか不明。「み」の甲乙が不明の為に、語源についても「身(乙類)+注(そそ)く」、「身+濯(そそ〔すす〕)ぐ(く)」、「水(甲類)+濯ぐ(く)」などが挙げられ、語源及び音韻についてさまざまに言われている。しかし、「み」を「水」とすると、「みそぎ」の語の成立時にすでに「水」と「濯ぐ(注く)」とに意味の重複が存在していたことになる。また、「み」を「身」とする説については、「吾者為御身之禊而」(古事記、上巻)の文字列が参考になる。この文字列は、「我は御身の禊(みそぎ)して」と訓まれるのが一般的であるが、こちらも「身」と「みそぎ」との重複が存在する。しかし、この重複は「みそぎ」の一語性が高まり、その語源が不明になってからの表現と捉えることも可能である。この比較から「み」の語源を「身」とする方が説得的か。「そぎ」の部分の語源はなお不明だが、「そそ(すす)ぐ(く)」など水に関わる動詞である可能性が高かろう。一方、万葉集の「みそぎ」を見ると、①「天の川原に 出で立ちて 潔身而麻之乎(みそぎてましを)」(3-420)、②「明日香の川に 潔身為尓去(みそぎしにゆく)」(4-626)、③「三津の浜辺に 潔身四二由久(みそぎしにゆく)」(4-626異伝)、④「しのふ草 祓へてましを 行く水に 潔而益乎(みそぎてましを)」(6-948)、⑤「清き川原に 身秡為(みそぎして)」(11-2403)の5例あり、いずれも水を利用して、罪や汚れを洗い清める意に用いられ、これを「みそぎ」の原義と考えてよいだろう。ただし、『類聚名義抄』の「禊」には「ハラヘ」と「ミソギ」の両訓が存在し、「みそぎ」と「はらへ」との混同が早くから起きていたことがわかる(前掲『日本紀私記 乙本』の「秡除」も「はらへ」系に訓むべきである)。万葉集にあっても、11-2403の人麻呂歌集歌の「身秡為」を「みそぎして」と訓むと、人麻呂歌集編纂の段階で、文字レベルにあっては「祓」(秡)と「禊」との混同が始まっていたともいえる。しかし、6-948のように「はらへ」と「みそぎ」とを明確に区別している例もあり、文字の混同と語義の混同とを同一視してよいかどうか、問題が残る。西宮一民「ミソキとハラヘ」『上代祭祀と言語』(おうふう)。719みそぎ禊ぎ村田右富実み1
資料ID32328

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