テキスト内容 | 一般名詞としての「みこともち」は、天皇の命を受けて土地の政治を司る者をいう。紀では、新羅の「宰」(神功前紀)、遠江の国の「司」(仁徳紀)などが「みこともち」と訓まれている。しかし万葉の唯一の例である家持の「天皇の 食す国なれば みこともち 立ち別れなば」(17-4006)が示すように、「みこともち」は天皇の言葉(「みこと」)を受け、それを身に帯びながら臣下が行動することをも意味する(この歌では越中守の家持が、天皇の命をもって正税帳使として上京することをいう)。この「みこともち」に注目して論を展開したのは折口信夫である。折口は、「みこともち」は言葉を伝達する者の意であり、「ににぎの命は、神考(かぶろき)・神妣(かぶろみ)のみこともちとして、天の下に降られた。歴代の天子も、神考(かぶろき)・神妣(かぶろみ)に対しては、ににぎの命と同資格のみこともちであった。さうして、天子から行事を委任せられた人々は、皆みこともちと称せられる。宰の字をみこともちと訓むのは、その為である」と述べている(「村々の祭り」)。天つ神カムロキ・カムロミの命を受けてニニギが、そしてニニギから歴代天皇、さらに官吏へと命(御言)が託されていくと考えるのであり、ニニギ以下の神や人は、天神の言葉を伝え、さらにはその命を実行する「神の代理者、即、御言実行者(みこともち) 」として位置することになる。これは、「天つ神諸の(すめむつ)命以(みことも)ちて」(記)、「高天の原に神留ります、皇親(すめむつ)神ろき・神ろみの命もちて」(祝詞)発せられる神の「命」を、天皇や人間が聞き取り伝えていく過程ともいえる。折口は神と天皇の間を仲介し「中語」する者として中天皇(なかつすめらみこと)を、天皇と人間の間に立つ者として中つ臣らを置き、「みこともち」にも広くはそのような「中語」の役目も見ている(「日本文学の発生」)。そして「神の言葉を持ち伝える人は神と同程度に神聖」であり、「宰は天皇と同資格」となっているという(「古代生活における惟神の真意義」)。こういった、神の言葉を聞いてそれを伝える者が神と同等に見なされるという発想は、律文や祭りの発生や構造を考えるに際して重要な要素ともなっていく。さて、この「みこともち」の論は、戦後にあっても展開を見せる。伊藤博は、古く「神々や天皇などの告げごとを神々や天皇などに純粋に成り代って伝える宗教的な立場」の女性がいたことを想定し、額田王を、そのような「『みこともち』の脈を引きながら新たに生まれてきた歌人、いわば天皇霊になりかわる″御言持ち歌人〟」としてとらえる。天皇の歌の代作者として、「みこともち」という立場から額田王を捉える視点であり、折口の論の今日的な発展といえよう。折口信夫「村々の祭り」『全集2』、「日本文学の発生」『全集7』、「古代生活に於ける惟神の真意義」『全集20』(中央公論社)。伊藤博「代作の問題」『万葉集の歌人と作品 上』(塙書房)。 |
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