テキスト内容 | 神への供物、神饌。または天皇の食物。ミは畏敬の念や讃美を意味する接頭語、ケは食事を意味する。万葉集には、「御食(みけ)つ国(くに)」「御食(みけ)向(むか)ふ」「大御食(おほみけ)」という語の形でみられる。「御食つ国」とは、天皇家や朝廷に穀物を除く贄(にえ)(食料)を献上する国のこと。平城京跡出土木簡や『延喜式』により、古代に各国から献上されていた食物が判明している。万葉集では、淡路国(6-933山部赤人・6-934同)、志摩国(6-1033大伴家持)、伊勢国(13-3234作者未詳)を「御食つ国」と讃美しており、海人など海に関連する表現と結びついている。「御食向ふ」は、万葉集に4例みられ、「城上(きのへ)宮」(2-196柿本人麻呂)・「味経宮(あじふ)」(6-1062田辺福麻呂)・「淡路」(6-946山部赤人)・「南淵(みなぶち)山」(9-1079柿本人麻呂歌集)にかかる枕詞。宮に掛かるものが2例、島・山に掛かるものが各1例である。音が御食ともなる、葱(き)(ネギ、あるいは酒(き))・味鴨(あじ)(カモ)・粟・蜷(みな)(巻き貝)と通じることから発生したと考えられている。柿本人麻呂以後の歌で、内容も明日香皇女挽歌・難波宮作歌・播磨行幸従駕歌・弓削皇子献歌と宮廷を場とした公的な歌である。記紀には用例がなく、比較的新しい表現だと考えられる。『延喜式』神名帳などに「御食津(みけつ)神」(四時祭下・鎮魂祭条「御膳魂(みけつむすひ)」、践祚(せんそ)大嘗祭・抜穂条「大御食神(おおみけつかみ)」、祝詞・祈年祭条「大御膳都神(おおみけつ)」、『古語拾遺』「御膳(みけつ)神」等)とあり、御食は古代において神格化された存在だった。律令制度下、天皇や国家を守護するための神として神祇官西院の八神殿(はっしんでん)にまつられる八座の神々(『延喜式』の大膳式上の「御膳神八座」も同一の神だろう)の1神でもあり、現在でも宮中の神殿で奉斎されている。また、各地の稲荷神社の中には、御食津(みけつ)神を三狐(みけつ)神と解して祭神としているところもある。記紀等にはオオゲツヒメノカミ・オオトシノカミ・ウケモチノカミ・トヨウケヒメノカミ等の食物神がみられるが御食津(みけつ)神の名はない。御食津(みけつ)神をこれら記紀のいずれかの神に比定する必要はない。古代の食物神が、しばしば女神として形象化されたのは、出産能力や女性の食膳調達能力を呪性として認識していたことによるのだろう。藤原鎌足の父の中臣御食子や推古女帝の和風諡号(しごう)の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)天皇も、御食をめぐる呪的信仰によって支えられている名である。→<a href=http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68356">おおみけ〔大御食〕</a> 狩野久『日本古代の国家と都城』(東京大学出版会)。小野寛「万葉『ことば』考『御食向ふ』」『コスモス』49-6(コスモス短歌会)。虎尾俊哉編『延喜式 上』補注(集英社)。 |
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