テキスト内容 | 神に捧げものをして祈ること。倭語の「まつり」は動詞連用形の名詞化した語であり、その意味は「たてまつる(奉る)」と同じく「神や人に物をさしあげるのが原義」(『岩波古語辞典』)だとされる。おそらく「まつる」とは、神などを上の方に位置づけて食べ物などを捧げて仕えることであろう。万葉集には持統天皇が吉野に行幸した折に、山川の神々が天皇に奉仕したことが詠まれ、「畳はる 青垣山 山神の 奉る御調と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり」(1-39)と見える。山の神は天皇に花や黄葉を「奉(まつる)」のだという。漢字では祭祀と当てられる。『説文通訓定声』によれば、「祭」の字は「祀也。従示、従手、持肉。会意。広雅釈言、祭薦也」といい、祭は祀と等しく手に肉を持って神に捧げる行為であり、それ故に祭りは薦める意味だという。示字は「天垂象見吉凶示人。従古文上三垂日月星辰也。観乎天文以察時変示神事也」(同上)ということからすれば、神が神事を示すことである。これらからすると、祭祀とは神の意志を窺う神事のために、物を神に捧げることが原義であり、それは倭語の「まつる」と等しいことが理解されよう。神祇令には季節毎の祭りとして、仲春に祈年祭、季春に鎮花祭、孟夏に神衣祭・大忌祭・三枝祭・風神祭、季夏に月次祭・鎮火祭・道饗祭、孟秋に大忌祭・風神祭、季秋に神衣祭・神嘗祭、仲冬に上卯相嘗祭・寅日鎮魂祭・下卯大嘗祭、季冬に月次祭・鎮火祭・道饗祭が行われることが記されている。紀神代にはイザナミの神が火の神を産んで去った時に紀伊の国の熊野の有馬村に葬ったが、その時に「土俗祭此神之魂者、花時亦以花祭。又用鼓吹幡旗、歌舞而祭矣。」のように見える。土地の者はこの神の魂を祭るのに、花の時は花をもって祭り、鼓笛幡を用い、歌舞して祭ったという。葬送もまた祭りであった。万葉集には「手向する 恐の坂に 幣奉り」(6-1022)、「片手には 木綿取り持ち 片手には 和たへ奉り」(3-443)のように、神事において幣や木綿や和たへを以て奉るのだという。また、大伴坂上郎女の「神を祭る歌」には「ひさかたの 天の原より 生れ来る 神の尊 奥山の さかきの枝に しらか付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を しじに貫き垂れ 鹿じもの 膝折り伏して たわやめの おすひ取り掛け かくだにも 我は祈ひなむ 君に逢はじかも」(3-379)のように、神祭りの様子が描かれている。 |
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