まつらさよひめ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名まつらさよひめ;松浦佐用姫
+表記松浦佐用姫
TitleMatsurasayohime
テキスト内容肥前国(現佐賀県)の松浦(まつら)の地の「領巾振(ひれふり)の嶺(みね)」伝説のヒロイン。万葉集にはその伝説に依拠する歌群(5-871~875)が収録されている。この歌群は、直前の「松浦川(まつらがは)に遊ぶ序」の歌群(5-853~863)と組をなし、松浦川の神仙歌群に対して、松浦の山の伝説を歌ったもので、前者の複数のヒロイン「娘等」に対して1人のヒロイン松浦佐用姫にスポットが当てられている。当該歌群の前文には、537(宣化2)年、朝鮮半島の任那(みまな)救援に遣わされた大伴佐提比古(おほとものさでひこ)(狭手彦)の妾(つま)松浦佐用姫は、夫との別れを嘆き、高い山の嶺に登り、遠ざかる夫の船を遥かに見やり、悲しさに肝も絶え、苦しさに魂も消える思いで、船よ帰れとひたすらに領巾(ひれ)を振った。それを見て、傍らの人はみな泣いた。それで、その山を「領巾振の嶺」と呼ぶようになったと記す。この領巾振の嶺は現在の鏡山(かがみやま)で、佐賀県唐津市の東方に見え、松林の帯が虹のように美しい弧を描く「虹の松原」の南方に存する。佐用姫がひたすらに振った領巾の呪力は及ばなかったのか。山を下って狭手彦を追った佐用姫が松浦川の浅瀬を渡り休んだという佐用姫岩が伝わり、唐津市の田島神社境内の佐用姫神社には、佐用姫が泣き伏したまま石になったという望夫石が御神体として鎮まっているという。また、鏡山の麓には、狭手彦が佐用姫の追善供養のために建立したという赤水観音がひっそりと立つ。先述の「松浦川に遊ぶ序」の歌群が肥前国風土記「松浦の郡」の神功皇后の鮎釣り伝説を踏まえ、「領巾振の嶺」歌群はその鮎釣り伝説の次に収録されている大伴狭手彦と弟日姫子(おとひひめこ)の「鏡の渡(わたり)」「褶(ひれ)振の嶺」の伝説の特に「褶振の嶺」の名の由来の記述を踏まえていると考えられる。万葉歌人はヒロインの名を弟日姫子から松浦佐用姫に改変し、歌をもってその心情を浮き彫りにし、抒情的に風土記伝説を再構築したのである。
+執筆者鈴木武晴
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32308
-68872402009/07/06hoshino.seiji00DSG000698まつらさよひめ;松浦佐用姫Matsurasayohime肥前国(現佐賀県)の松浦(まつら)の地の「領巾振(ひれふり)の嶺(みね)」伝説のヒロイン。万葉集にはその伝説に依拠する歌群(5-871~875)が収録されている。この歌群は、直前の「松浦川(まつらがは)に遊ぶ序」の歌群(5-853~863)と組をなし、松浦川の神仙歌群に対して、松浦の山の伝説を歌ったもので、前者の複数のヒロイン「娘等」に対して1人のヒロイン松浦佐用姫にスポットが当てられている。当該歌群の前文には、537(宣化2)年、朝鮮半島の任那(みまな)救援に遣わされた大伴佐提比古(おほとものさでひこ)(狭手彦)の妾(つま)松浦佐用姫は、夫との別れを嘆き、高い山の嶺に登り、遠ざかる夫の船を遥かに見やり、悲しさに肝も絶え、苦しさに魂も消える思いで、船よ帰れとひたすらに領巾(ひれ)を振った。それを見て、傍らの人はみな泣いた。それで、その山を「領巾振の嶺」と呼ぶようになったと記す。この領巾振の嶺は現在の鏡山(かがみやま)で、佐賀県唐津市の東方に見え、松林の帯が虹のように美しい弧を描く「虹の松原」の南方に存する。佐用姫がひたすらに振った領巾の呪力は及ばなかったのか。山を下って狭手彦を追った佐用姫が松浦川の浅瀬を渡り休んだという佐用姫岩が伝わり、唐津市の田島神社境内の佐用姫神社には、佐用姫が泣き伏したまま石になったという望夫石が御神体として鎮まっているという。また、鏡山の麓には、狭手彦が佐用姫の追善供養のために建立したという赤水観音がひっそりと立つ。先述の「松浦川に遊ぶ序」の歌群が肥前国風土記「松浦の郡」の神功皇后の鮎釣り伝説を踏まえ、「領巾振の嶺」歌群はその鮎釣り伝説の次に収録されている大伴狭手彦と弟日姫子(おとひひめこ)の「鏡の渡(わたり)」「褶(ひれ)振の嶺」の伝説の特に「褶振の嶺」の名の由来の記述を踏まえていると考えられる。万葉歌人はヒロインの名を弟日姫子から松浦佐用姫に改変し、歌をもってその心情を浮き彫りにし、抒情的に風土記伝説を再構築したのである。699まつらさよひめ松浦佐用姫鈴木武晴ま1

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