ふじしろのみさか

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名ふじしろのみさか;藤白のみ坂
+表記藤白のみ坂
TitleFujishironomisaka
テキスト内容和歌山県海南市藤白の南部にある熊野街道の坂道。紀によれば、658(斉明天皇4)年11月11日に有間皇子がこの地で絞殺された。万葉集には、「藤白のみ坂を越ゆと白妙の我が衣手は濡れにけるかも」(9-1675)とよまれ、ここを「み坂」と呼んでいるのは、神が支配している坂であることを意味している。この一帯は石灰岩が多く、それで白崎と呼ばれる地があり、「白崎は幸くあり待て」(9-1668)、「白神の礒の浦廻」(9-1671)のようによまれている。藤白の「白」もこの石灰にちなむ地名なのであろう。石灰岩が侵食されて、この海岸づたいに奇岩、奇景がみられ、それが神々しい景色をつくり、藤白の坂も「み坂」と呼ばれたのであろう。
+執筆者宮本緑
コンテンツ権利区分CC BY-NC
資料ID32269
-68833402009/07/06hoshino.seiji00DSG000659ふじしろのみさか;藤白のみ坂Fujishironomisaka和歌山県海南市藤白の南部にある熊野街道の坂道。紀によれば、658(斉明天皇4)年11月11日に有間皇子がこの地で絞殺された。万葉集には、「藤白のみ坂を越ゆと白妙の我が衣手は濡れにけるかも」(9-1675)とよまれ、ここを「み坂」と呼んでいるのは、神が支配している坂であることを意味している。この一帯は石灰岩が多く、それで白崎と呼ばれる地があり、「白崎は幸くあり待て」(9-1668)、「白神の礒の浦廻」(9-1671)のようによまれている。藤白の「白」もこの石灰にちなむ地名なのであろう。石灰岩が侵食されて、この海岸づたいに奇岩、奇景がみられ、それが神々しい景色をつくり、藤白の坂も「み坂」と呼ばれたのであろう。660ふじしろのみさか藤白のみ坂宮本緑ふ1

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