テキスト内容 | 宮殿のこと。万葉集には「高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭」(1-52)の1例だけ存する。これは「藤原の宮の御井の歌」で藤原宮を讃美する歌である。カゲは屋根に覆われて籠もる所をいい、建築物としての宮殿をさす。万葉集にはカゲという語が20例ほどあるが、この意味で用いられるケースはなく、光、姿、シルエット等の意で用いられている。光の用例がもっとも多く、シルエットの意で用いられるのは「橘のカゲ踏む道の」(2-125)しかない。宮殿の意で用いられるのは特殊で、歌では他に「やすみしし 我が大王の 隠ります 天の八十蔭」(紀歌謡102)があるのみ。これは蘇我馬子が推古天皇に献上した寿歌とされている。「天の」「八十」は讃めことばであり、大王が籠もる場所としてカゲという語が用いられている。「天の御蔭 日の御蔭」の「天の」「日の」も同様で、日光や雨などを遮るという意味ではない。祝詞では「日の御蔭」は「天の御蔭」と対句になって、定句的に「天の御蔭・日の御蔭と隠りまして」(祝詞「祈念祭」)のように用いられている。この表現はもともと祭式言語であり、宮殿というものが、天皇の忌み籠もりのための場所として作られたことを示している。この点で、天皇(大王)は神に等しい存在であった。大国主神が国譲りするとき、神殿の造営を要求し「僕は百足らず八十隈手に隠りて侍ひなむ」というのも、神社は神が籠もる場所だったからである。大王(天皇)も神として君臨するので、その宮殿は生活する住居ではなく、忌み籠もりの祭儀を行う場所にほかならなかった。そのような宮殿を光と蔭の二面性をもつカゲという語で讃美するのは、蔭の意で用いられたとしても、この語はやはり光り輝くイメージを放つからである。万葉集のカゲの用例でも光と蔭は意味的に区別しにくく、「日の御蔭」は、その容易に分離できないカゲの意味機能が生きていることばである。 |
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