テキスト内容 | 上代においては、①神通力のある人。仙人。②神聖な霊力を左右できる人。天皇。③儒教の聖人。などの意で用いられている。中古以降は意味が拡大し、また移行し、ある分野で卓越した能力のある人、高徳の僧、一般に僧への敬称、行者、などの意でも用いられるようになった。語源は「日知り」で、太陽を初めとする天体の運行・暦法に通じた人の意。天皇を「ひじり」と称するのは、天皇を超人的な能力者と見なして、一種の称え言としてこのように言ったものであろう。仁徳記には、天皇が国見をして人民の困窮を知り、3年間課役を免除した説話を載せ、その最後に、「故(かれ)、その御世を称へて、聖帝の世と謂ふぞ」とある。この「聖帝」が「ひじりのみかど」と訓読すべきものならば、天皇の中でも特に高徳な天皇を指して、「ひじり」と呼ぶ用法もあったものかと考えられる。推古紀21年12月の条には、聖徳太子が片岡山で飢者に会った説話を載せ、太子の発言として、その飢者を「それ凡人(ただひと)に非(あら)じ。必ず真人(ひじり)ならむ」と言ったとあり、同じ説話中に、時の人が太子とその飢者とを指して「聖(ひじり)の聖を知ること、それ実(まこと)なるかも」と言ったとある。これらは「道を究めて神通力を得た人」の意で用いられており、「真人」「聖」には書紀の写本に「ひじり」の訓がある。万葉集においては、歌中に「ひじり」の語が用いられている歌が2首ある。1首は柿本人麻呂の近江荒都歌で、神武天皇を指して「橿原の聖」(1-29)といっている。この例も仁徳記の例と同様、初代天皇である神武天皇を指して、特に「ひじり」と称えたものであろう。この語の原文は「日知」とあり、語源が表記に反映したものと考えられる。もう1首は大伴旅人の「酒を讃むる歌十三首」の中の第2首目で、ここでは古代中国において酒を「聖人」という隠語で呼んだという故事をふまえた用法である。 |
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