テキスト内容 | 「のむ」は、「乞ひのむ」や単に「のむ」の形で、万葉集中に十数例歌われている。「天地の神を乞(こ)ひ祷(の)み長くとそ思ふ」(20-4499)と長寿を祈願する歌では、万葉仮名で「許比能美」と表記している。天神地祇に同じように旅の無事を祈る時も、片手に木綿の、もう片手に和栲(にぎたえ)の幣帛を捧げて、わが子が平安で無事であるようにと「天地(あめつち)の神を乞(こ)ひ祷(の)み」(3-443)と歌う。表記は「乞祷」である。この「祷」字も「のむ」と読んで間違いなかろう。「乞ひのむ」と歌うときには、神々をどのように敬っているかが示される。この場合は手ごとに祭具を持って祈っている。病気の回復を願う場合も、白栲のたすきを掛け、まそ鏡を手に持ち、天つ神を仰ぎ「許比乃美」(5-904)て神に祈っている。旅の無事を祈る歌も布施(ふせ)を供えて「吾(われ)は許比能武(こひのむ)」(5-906)と歌い、砺波山(となみやま)の手向(たむ)けの神に「幣(ぬさ)奉り吾が許比能麻久(こひのまく)」(17-4008)と歌っている。逃がした鷹の行方を求め祈る折りには、霊験あらたかな神の社(やしろ)に磨いた鏡を倭文(しづ)に掛けて、「己比能美弖(こひのみて)」(17-4011)私が待つ時にと歌う。歌以外では、崇神紀10年条に、逃げおおせることができないと観念して、「叩頭(のみ)<迺務(のむ)と訓注>て」今までの敵を「わがご主君」と言ったと伝える。また、肥前国風土記(藤津郡能美(のみ)郷)に、大白(おほしろ)たち3人が「叩頭(のみ)て」、自分の罪を開陳して、更生させて欲しいと願ったので、その地を能美(のみ)の郷(さと)というのだと伝えていることなどから「のむ」は誅殺時などに必死に助命を乞い、頭を地に打ちつけひれ伏して祈ることらしい。『霊異記』中五話は、巫女を呼び集めて「祓(はら)へ祈(のみ)《ノ美(のみ)(国会図書館本訓)》>祷(いの)れども」、病気はますます重くなった話で、「のむ」のは重病の際の命乞いのためであった。ただ、「叩頭」だけでなく、「立ちあざりわれ乞能米登(こひのめと)」(5-904)の例もあるので、立って伏して一心不乱に祈ることをいう語と思われる。なお、「大伴坂上郎女の神を祭る歌」中の「吾者祈奈牟」(3-379)と「吾波乞嘗」(3-380)も、『代匠記』は「祷む」の意に解する。 |
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