にぎたま

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名にぎたま;和魂
+表記和魂
TitleNigitama
テキスト内容 霊魂の働き、機能による呼び方の一つであり、霊魂のおだやかな働きを指し、荒々しい荒魂(あらたま・あらみたま)と対比される。『古事類苑』には「荒魂ハ其剛健ノ性ヲ具有スルトキノ称、和魂ハ其和穆ノ徳ヲ保持スルトキノ称」とある。神功紀には、住吉の神が託宣を下し、その和魂が天皇の御身を守り、荒魂は軍船の先鋒となってこれを導かむと言ったと記されている。和魂・荒魂・幸魂(さきたま)・奇魂(くしみたま)をまとめて「四魂(しこん)」と言い表すことも多いが、『延喜式』祝詞所収の「出雲国造神賀詞」においてオオナムチの和魂だとされている大和の三諸山(三輪山)の神が、紀ではオオナムチの幸魂奇魂だとされていること、また「幸」「奇」はともに美称であることなどから、幸魂・奇魂は和魂の範疇に属するものと捉えるべきである。万葉集には「足柄の坂に立ち寄った時、死人を見て作った歌」(9-1800)の中で、「東の国の恐ろしい神の在す坂に『和霊の』衣服も寒々として」と詠まれてくる。ただし「和霊の」を「にきたまの」と読むと、前後の文脈が通らない。「和霊」を死人とする説(『古義』)、和霊を包む衣とする説(『講談社』)などもあるが、難所の足柄峠で不帰の客となった男に対する鎮魂の歌の中では、「和霊」は表現的にそぐわない。そこで「和霊」を「和膚」の誤りとして「にきはだ」と訓む解釈(『全註釈』・『沢瀉注釈』・『大系』)や、「和細布」の誤りとして「にきたへ」と訓む解釈(『万葉考』・『全注』・『新全集』)などが存在する(『私注』は「和霊」のままで「にきたへ」と訓む)。「衣服も寒々として」という歌の続きを考えれば、「柔らかな布の」(にきたへ)と解釈するのが無難だろう。ただし、その場合は「和霊」には諸本に異同がない、という問題が生じる。また万葉集「河内王が豊前国の鏡山に葬られた時に手持女王が作った歌」の中では「大君の『親魄(にきたま)』あへや」(3-417)と詠まれてくる。吉永登は「親之(にきびにし)」(13-3272)、「柔備尓之(にきびにし)」(1-79)、「丹杵火尓之(にきびにし)」(3-481)の例から「親魄」を「にきたま」と訓むことを示したが、現在ではこれが通説となっている。ここでは荒魂に対する和魂というよりは、「親」という文字をあてたことを重視し、親しみなつかしまれる御霊の意味としてとらえるべきである。  吉永登「『親魄相哉』」『万葉-通説を疑う-』(創元社)。西宮一民「日本上代人の霊魂観」『上代祭祀と言語』(櫻楓社)。松前健「古代の霊魂観念」『松前健著作集 12』(おうふう)。
 
+執筆者東城敏毅
-68780402009/07/06hoshino.seiji00DSG000606にぎたま;和魂Nigitama 霊魂の働き、機能による呼び方の一つであり、霊魂のおだやかな働きを指し、荒々しい荒魂(あらたま・あらみたま)と対比される。『古事類苑』には「荒魂ハ其剛健ノ性ヲ具有スルトキノ称、和魂ハ其和穆ノ徳ヲ保持スルトキノ称」とある。神功紀には、住吉の神が託宣を下し、その和魂が天皇の御身を守り、荒魂は軍船の先鋒となってこれを導かむと言ったと記されている。和魂・荒魂・幸魂(さきたま)・奇魂(くしみたま)をまとめて「四魂(しこん)」と言い表すことも多いが、『延喜式』祝詞所収の「出雲国造神賀詞」においてオオナムチの和魂だとされている大和の三諸山(三輪山)の神が、紀ではオオナムチの幸魂奇魂だとされていること、また「幸」「奇」はともに美称であることなどから、幸魂・奇魂は和魂の範疇に属するものと捉えるべきである。万葉集には「足柄の坂に立ち寄った時、死人を見て作った歌」(9-1800)の中で、「東の国の恐ろしい神の在す坂に『和霊の』衣服も寒々として」と詠まれてくる。ただし「和霊の」を「にきたまの」と読むと、前後の文脈が通らない。「和霊」を死人とする説(『古義』)、和霊を包む衣とする説(『講談社』)などもあるが、難所の足柄峠で不帰の客となった男に対する鎮魂の歌の中では、「和霊」は表現的にそぐわない。そこで「和霊」を「和膚」の誤りとして「にきはだ」と訓む解釈(『全註釈』・『沢瀉注釈』・『大系』)や、「和細布」の誤りとして「にきたへ」と訓む解釈(『万葉考』・『全注』・『新全集』)などが存在する(『私注』は「和霊」のままで「にきたへ」と訓む)。「衣服も寒々として」という歌の続きを考えれば、「柔らかな布の」(にきたへ)と解釈するのが無難だろう。ただし、その場合は「和霊」には諸本に異同がない、という問題が生じる。また万葉集「河内王が豊前国の鏡山に葬られた時に手持女王が作った歌」の中では「大君の『親魄(にきたま)』あへや」(3-417)と詠まれてくる。吉永登は「親之(にきびにし)」(13-3272)、「柔備尓之(にきびにし)」(1-79)、「丹杵火尓之(にきびにし)」(3-481)の例から「親魄」を「にきたま」と訓むことを示したが、現在ではこれが通説となっている。ここでは荒魂に対する和魂というよりは、「親」という文字をあてたことを重視し、親しみなつかしまれる御霊の意味としてとらえるべきである。  吉永登「『親魄相哉』」『万葉-通説を疑う-』(創元社)。西宮一民「日本上代人の霊魂観」『上代祭祀と言語』(櫻楓社)。松前健「古代の霊魂観念」『松前健著作集 12』(おうふう)。
  607にぎたま和魂東城敏毅に1
資料ID32216

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