テキスト内容 | 新しく造った家。新しく家が造られたときは「新室寿(ほ)ぎ」、「新室の宴」が行われた。万葉集には(11-2351)、(11-2352)に「新室」、(14-3506)に「尓比牟路(にひむろ)」が見える。このうち、「新室(にひむろ)の 壁草刈(かべくさか)りに いましたまはね 草のごと 寄り合ふ娘子(をとめ)は 君がまにまに」(11-2351)、「新室を 踏(ふ)み鎮(しづ)む児(こ)し 手玉(ただま)を鳴(な)すも 玉のごと 照りたる君を 内(うち)にと申(まう)せ」(11-2352)の2首の旋頭歌(せどうか)はそれぞれ、新築の家の壁草刈りに招かれた若者に対して、(新室の神事のために)集まって来る娘子を意のままにしてよいという意(11-2351)、(新築の時地面を踏み鎮める神事を行う)娘子に立派な若者を家の中へ招き入れさせる意(11-2352)で、共に豊穣の意を含んだ新室寿ぎの歌とされる。東歌である「新室(にひむろ)の こどきに至(いた)れば はだすすき 穂(ほ)に出(で)し君が 見えぬこのころ」(14-3506)も「こどき」を「言寿」すなわち「言ほぎ」(『窪田評釈』)、「祝い」「祝宴」(『全註釈』)ととらえて、庶民の新室寿ぎを背景とした恋の歌であるとする説もある。顕宗即位前紀には、身分を隠して縮見屯倉首(しじみのみやけおびと)に仕えていた弘計王(をけのみこ)(後の顕宗天皇)が首(おびと)の新築祝いの場で見事な新室寿ぎの寿詞「築(つ)き立(た)つる 稚室葛根(わかむろかづね)、築き立つる 柱(はしら)は、此(こ)の家長(いへきみ)の 御心(みこころ)の鎮(しづまり)なり。取(と)り挙(あ)ぐる 棟梁(むねうつはり)は、此の家長の 御心の林(はやし)なり。…」を唱えたのち歌で身分を明かしたことが記されている。播磨国風土記美嚢(みなぎ)の郡志深(しじみ)の里の条にも「(於奚(おけ)・袁奚(をけ)の二皇子が使われる身となった)伊等尾(いとみ)が新室(にひむろ)の宴(うたげ)する」と見える。『延喜式』祝詞「大殿祭(おほとのほがひ)」も宮殿の安泰を祈る詞章である。久松潜一「万葉集評釈・八十七 名篇の新しい評釈 新室を踏み静む子し-巻十一・一-」『國文學 解釈と教材の研究』第11巻第4号。 |
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