とよのあかり

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名とよのあかり;豊の宴
+表記豊の宴
TitleToyonoakari
テキスト内容宴会。主として宮中で催される酒宴。「とよ」は豊かに満ち足りていることを表わして褒める意がある。「あかり」は酒を飲んで顔色が赤らむこと。早く『古事記伝』に、祝詞大嘗祭や中臣寿詞に見える「豊明」の記事を引用して、「豊は、例の称辞」、「明は、もと大御酒を食て、大御顔色の赤らみ坐を申せる言」と説く。『続日本紀』769(神護景雲3)年11月28日の新嘗祭の宣命には、「豊《能》明」の表記が見える。「とよのあかり」の用語は『古義』によると、「豊宴(とよのあかり)、古事記に、豊明(トヨノアカリ)とも、豊楽(トヨノアカリ)とも書たり、書紀に、宴、また讌、宴楽、宴会、宴饗、肆宴」などをあげているが、紀(『新全集』)は宴会の目的・時・場所などを分析して、「宴」「宴楽」「宴会」「肆宴」を「とよのあかり」、「讌」「宴饗」を「うたげ」、「宴食」を「えんしょく」と読み、また「宴」「宴会」は「うたげ」とも読んでそれぞれ区別する。万葉集の「豊宴」は、大伴家持の「応詔儲作歌」(19-4266)にのみ見える用語であり、「わが大君が神の御心のままにお思いになって酒盛りをなさる今日は」(『新全集』)と、天皇の催す盛大な酒宴を示すものである。歌の後半では、多くの官人たちが庭園に赤く照り輝く橘を頭髪や冠に挿す情景を歌い、橘の生命力を感染させる呪的行為を表わす。さらに天皇の御代の千秋を祝する声を響かせて、「ゑらゑらに 仕へ奉るを 見るが貴さ」で結ぶ。「ゑらゑらに」は楽しみ笑い興じての意であり、「笑いによって繁栄多幸を招くという儀礼的な意味がこめられている」(『全集』)といえる。その「動詞『ゑらく』は賜宴の宣命に常用される」(『新大系』)語である。称徳天皇の治世、765(天平神護元)年11月23日の宣命には、冒頭で、大嘗祭の神事の後、平常に復するために酒宴が行われることを宣して、「由紀(ゆき)・須岐(すき)二国の献れる黒紀・白紀の御酒を赤丹(あかに)のほにたまへゑらき」と、酒宴の次第において最も重要な所作が示される。「あかに」は赤土をさすが、赤色そもものもいい、「ほ」は他のものより目立つもの、秀でたものをいう。したがって「赤丹のほ」は、万葉集の「紅の《一に云ふ 丹のほなす》面の上」(5-804)、「我が恋ふる 丹のほの面わ」(10-2003)、『祝詞』祈年祭の「赤丹の穂に聞こし食す」などのように、赤く照り輝く顔色をいうのに用いられている。このような赤らむ顔色こそが宴会の呪的効果を高める力をもっていたのであろう。倉林正次「万葉集における新嘗祭の歌」『饗宴の研究(祭祀編)』(桜楓社)。青木周平「豊明(豊楽)の性格とその伝承型」『古事記研究―歌と神話の文学的表現―』(おうふう)。
+執筆者宮岡薫
-68755402009/07/06hoshino.seiji00DSG000581とよのあかり;豊の宴Toyonoakari宴会。主として宮中で催される酒宴。「とよ」は豊かに満ち足りていることを表わして褒める意がある。「あかり」は酒を飲んで顔色が赤らむこと。早く『古事記伝』に、祝詞大嘗祭や中臣寿詞に見える「豊明」の記事を引用して、「豊は、例の称辞」、「明は、もと大御酒を食て、大御顔色の赤らみ坐を申せる言」と説く。『続日本紀』769(神護景雲3)年11月28日の新嘗祭の宣命には、「豊《能》明」の表記が見える。「とよのあかり」の用語は『古義』によると、「豊宴(とよのあかり)、古事記に、豊明(トヨノアカリ)とも、豊楽(トヨノアカリ)とも書たり、書紀に、宴、また讌、宴楽、宴会、宴饗、肆宴」などをあげているが、紀(『新全集』)は宴会の目的・時・場所などを分析して、「宴」「宴楽」「宴会」「肆宴」を「とよのあかり」、「讌」「宴饗」を「うたげ」、「宴食」を「えんしょく」と読み、また「宴」「宴会」は「うたげ」とも読んでそれぞれ区別する。万葉集の「豊宴」は、大伴家持の「応詔儲作歌」(19-4266)にのみ見える用語であり、「わが大君が神の御心のままにお思いになって酒盛りをなさる今日は」(『新全集』)と、天皇の催す盛大な酒宴を示すものである。歌の後半では、多くの官人たちが庭園に赤く照り輝く橘を頭髪や冠に挿す情景を歌い、橘の生命力を感染させる呪的行為を表わす。さらに天皇の御代の千秋を祝する声を響かせて、「ゑらゑらに 仕へ奉るを 見るが貴さ」で結ぶ。「ゑらゑらに」は楽しみ笑い興じての意であり、「笑いによって繁栄多幸を招くという儀礼的な意味がこめられている」(『全集』)といえる。その「動詞『ゑらく』は賜宴の宣命に常用される」(『新大系』)語である。称徳天皇の治世、765(天平神護元)年11月23日の宣命には、冒頭で、大嘗祭の神事の後、平常に復するために酒宴が行われることを宣して、「由紀(ゆき)・須岐(すき)二国の献れる黒紀・白紀の御酒を赤丹(あかに)のほにたまへゑらき」と、酒宴の次第において最も重要な所作が示される。「あかに」は赤土をさすが、赤色そもものもいい、「ほ」は他のものより目立つもの、秀でたものをいう。したがって「赤丹のほ」は、万葉集の「紅の《一に云ふ 丹のほなす》面の上」(5-804)、「我が恋ふる 丹のほの面わ」(10-2003)、『祝詞』祈年祭の「赤丹の穂に聞こし食す」などのように、赤く照り輝く顔色をいうのに用いられている。このような赤らむ顔色こそが宴会の呪的効果を高める力をもっていたのであろう。倉林正次「万葉集における新嘗祭の歌」『饗宴の研究(祭祀編)』(桜楓社)。青木周平「豊明(豊楽)の性格とその伝承型」『古事記研究―歌と神話の文学的表現―』(おうふう)。
582とよのあかり豊の宴宮岡薫と1
資料ID32191

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