とゆらのてら

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名とゆらのてら;豊浦寺
+表記豊浦寺
TitleToyuranotera
テキスト内容奈良県高市郡明日香村にある「向原寺」の前身とされる寺。紀の593(推古元)年に、皇后が、豊浦宮に即位したと記されており、以後10年間ここに豊浦宮が営まれた。603(推古11)年宮を小墾田に遷したことから、その宮を蘇我馬子が譲り受け、豊浦寺が創建されたとする。万葉集には、「故郷の豊浦の寺の尼の私房に宴する歌三首」(8-1557~1559)の題詞に1例見られ、豊浦寺での宴席における、丹比真人国人・沙弥尼等による3首がのる。ここから、この寺が尼寺であったことがうかがえる。これまでの発掘調査によると、紀の記述通り豊浦寺は、豊浦宮の後に造られたものであることが確認され、このことは、『元興寺縁起』の伝えとも一致する。近年当該の遺構や、その東側にある板蓋宮跡などを中心とする一帯を飛鳥京と呼び、藤原宮の前身となる政治機関の集積地とする見方もある。
+執筆者城﨑陽子
-68754402009/07/06hoshino.seiji00DSG000580とゆらのてら;豊浦寺Toyuranotera奈良県高市郡明日香村にある「向原寺」の前身とされる寺。紀の593(推古元)年に、皇后が、豊浦宮に即位したと記されており、以後10年間ここに豊浦宮が営まれた。603(推古11)年宮を小墾田に遷したことから、その宮を蘇我馬子が譲り受け、豊浦寺が創建されたとする。万葉集には、「故郷の豊浦の寺の尼の私房に宴する歌三首」(8-1557~1559)の題詞に1例見られ、豊浦寺での宴席における、丹比真人国人・沙弥尼等による3首がのる。ここから、この寺が尼寺であったことがうかがえる。これまでの発掘調査によると、紀の記述通り豊浦寺は、豊浦宮の後に造られたものであることが確認され、このことは、『元興寺縁起』の伝えとも一致する。近年当該の遺構や、その東側にある板蓋宮跡などを中心とする一帯を飛鳥京と呼び、藤原宮の前身となる政治機関の集積地とする見方もある。581とゆらのてら豊浦寺城﨑陽子と1
資料ID32190

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