とこよ

大分類万葉神事語辞典
分野分類 CB文学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
+項目名とこよ;常世
+項目名(旧かな)
+表記常世
TitleTokoyo
テキスト内容海彼(うなひ)にあるという永遠の世界。異郷(他郷)である。記紀万葉の記述を総合すると、海神の宮があり(9-1740)、むろの木(「天木香樹」)が生え(3-446)、「常世物」とよばれる橘を名産品とする(18-4063)。少名毘古那神が大国主神と国作りを行った後に去りゆく場所で(神代記)、また少御神が酒を醸している場所でもある(仲哀記歌謡)。「老いもせず 死にもせず」(9-1740)する不老不死の国であるが、「我妹子は常世の国に住みけらし昔見しより変若ましにけり」(4-650)、「君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも」(5-865)と、若い姿を保っていられる時空として観想されていた。「風流士の遊ぶ」「海原の遠き渡り」を「蓬莱」と題詞に記す例があり(6-1016題・また雄略紀や丹後国風土記逸文)、神仙境と同一視されてもいる。老けた姿を拒否し、若々しい姿でいたいという万葉びとの願望と祈りが見られるが、それはまた藤原宮之役民が宮を建設しながら「我が国は 常世にならむ」(1‐50)と歌う天武持統朝の万葉びとのあこがれの世界でもあった。なお、皇極朝に「常世虫を祭ると貧者は富み、老い人は若返る」という宗教的詐欺事件があった(紀)。富貴をもたらす神の住まう土地としても観想されたということだろう。そして、たやすくは行けず、往復に10年かかり(少彦名神は淡島の粟の茎に弾かれて常世郷にわたっているが=神代紀)、実際に往復できたのは橘を持ち帰ったタジマモリだけである(垂仁紀・記、18-4111)。
+執筆者志水義夫
+参考文献
-68747402009/07/06hoshino.seiji00DSG000573とこよ;常世Tokoyo海彼(うなひ)にあるという永遠の世界。異郷(他郷)である。記紀万葉の記述を総合すると、海神の宮があり(9-1740)、むろの木(「天木香樹」)が生え(3-446)、「常世物」とよばれる橘を名産品とする(18-4063)。少名毘古那神が大国主神と国作りを行った後に去りゆく場所で(神代記)、また少御神が酒を醸している場所でもある(仲哀記歌謡)。「老いもせず 死にもせず」(9-1740)する不老不死の国であるが、「我妹子は常世の国に住みけらし昔見しより変若ましにけり」(4-650)、「君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも」(5-865)と、若い姿を保っていられる時空として観想されていた。「風流士の遊ぶ」「海原の遠き渡り」を「蓬莱」と題詞に記す例があり(6-1016題・また雄略紀や丹後国風土記逸文)、神仙境と同一視されてもいる。老けた姿を拒否し、若々しい姿でいたいという万葉びとの願望と祈りが見られるが、それはまた藤原宮之役民が宮を建設しながら「我が国は 常世にならむ」(1‐50)と歌う天武持統朝の万葉びとのあこがれの世界でもあった。なお、皇極朝に「常世虫を祭ると貧者は富み、老い人は若返る」という宗教的詐欺事件があった(紀)。富貴をもたらす神の住まう土地としても観想されたということだろう。そして、たやすくは行けず、往復に10年かかり(少彦名神は淡島の粟の茎に弾かれて常世郷にわたっているが=神代紀)、実際に往復できたのは橘を持ち帰ったタジマモリだけである(垂仁紀・記、18-4111)。574とこよ常世志水義夫と1

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