テキスト内容 | 「常(とこ)」と「磐(いは)」が変化した語で、常に変化しない岩の意味。転じて、永久に続くことやそのさまを表す。神代紀巻下においては「常磐堅磐(ときはかきは)」、記上巻では「常磐に堅磐に」、祈年祭祝詞には「堅磐に常磐に」といった例も見出すことができ、神事において重要な詞章であったことが窺われる。「とこ」の語素そのものが常であることや永久不変を意味し、「常世(とこよ)」(1-50など)・「常葉(とこは)」(6-1009など)・「常滑(とこなめ)」(1-37など)・「常夏(とこなつ)」(17-4000など)のような語彙を形成する。万葉集においては若干の不分明な例(9-1676など)があるものの、「とこ」と「常(つね)」との使い分けがみられ、「とこ」に「つね」にはない神聖性を見出すことができる。また「磐」も、堅いことや丈夫であること、永続するものであることなどを示す語素であり、紀神代巻上の「天磐船」などもそのような思想を背景とした語と考えられる。そもそも磐は不変の物であるというだけでなく、神の依代である「磐座(いはくら)」となるものでもあり、神事との関係は深いといえるだろう。民俗学では山中の磐に神や死者の魂が宿るという考え方が指摘されており、万葉集に「岩根しまきて 死なましものを」(2-86)や「巌の上に 君が臥やせる」(3-421)とあるのも、磐に霊的な力を認めたことに基づく発想であるとみられている。「常磐」の場合はことにこうした「磐」と結びつくことによって堅固さと永続性が具象化されたものと考えられる。つまり、不変である「とこ」と堅固で永続性を有し神霊の宿るものである「いは」とが結合することで、永久不変の神聖性の比喩となったと考えられる。そこから、さまざまな物の賛美や長寿を祈る際に用いられるようになったと思われる。万葉集では「皆人の 命も我がも み吉野の 滝の常磐の 常ならぬかも」(6-922)など、賛意を表し永遠を望む文脈で比喩として用いられている。 |
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