とうとし
大分類 | 万葉神事語辞典 |
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分野分類 CB | 文学 |
文化財分類 CB | 学術データベース |
資料形式 CB | テキストデータベース |
+項目名 | とうとし;たふとし;貴し |
+項目名(旧かな) | たふとし |
+表記 | 貴し |
Title | Totoshi |
テキスト内容 | 高貴である。立派である。尊敬すべきである。記紀においては神や皇族と関わる事柄に多く使われている。万葉集では、柿本人麻呂が日並皇子の挽歌(2-167)で、皇子が天下を統治なさったら春花のように貴いことだろう、と賛美している。また大伴家持は「興に依りて予め作る侍宴応詔の歌」(19-4254)で天皇の宴を「あやに貴さ」と賛美している。大伴旅人は「芳野の離宮に幸せる時に」(3-315)に、吉野の宮は山のゆえか貴くあるらしい、と吉野の宮が永遠に栄えることを歌う。また長田王は「まこと貴く奇しくも神さびをるかこれの水島」(3-245)と詠み、水島が神々しくあることを貴いと詠む。さらに、山部赤人は「富士の山を望む歌」(3-317)で、「神さびて高く貴き」と讃えている。さらに赤人は「神代より然そ貴き玉津島山」(6-917)と詠み、島や山の神聖さを貴いという。このように、「たふとし」というのは、万葉集では皇子や親あるいは島や山に用いられるが、神代紀の「国常立尊」の註に「至貴日尊」とあり、尊貴は神への称号であり、「命」は神の尊貴をあらわす呼称であった。 |
+執筆者 | 曹咏梅 |
コンテンツ権利区分 | CC BY-NC |
資料ID | 32174 |
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