テキスト内容 | 津とは船着場、港のことであり、津を「守る」番人という意味。「住吉の津守」(11-2646)とあるように、難波の港が建設された折、それを守る為に設けられた役職である。また、津守を司る難波の豪族に津守氏がおり、摂津住吉社(大阪府大阪市住吉区)の歴代宮司の一族でもある。津守氏は、天火明命の後裔とされる古代豪族尾張氏の一族であり、摂津国住吉郡の田蓑宿禰が七道の浜(大阪府堺市七道)において新羅征討を終えて帰ってきた神功皇后を迎えた。その際、新羅征討において住吉三神の神功があったことから、田蓑宿禰に住吉三神を祀るように皇后が命じ、田蓑宿禰の子の豊吾団に津守の姓を与えたのが始まりとされる。万葉集に、大津皇子が密かに石川女郎と関係を結んだとき「津守連通」がそのことを占いで明らかにしたときの歌(2-109)があり、大津皇子は、津守ふぜいの占いに出るだろうとは百も承知でわたしたちは2人で寝たのだと詠んでいる。『続日本紀』において、津守連通は714(和銅7)年に従五位下を授けられて美作守となり、723(養老7)年従五位上に進んだ人物と記されている。養老5年に陰陽道の達人として朝廷から褒賞を受けていて、当時一級の陰陽師であったらしい。陰陽師は律令制下では、陰陽寮に属し、中国の陰陽五行説に基づいて天文・暦数・ト筮などを扱い、禍福・吉凶などを占っていた。 |
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