テキスト内容 | ツマドフの名詞形。①求婚や婚姻のための訪問。②結婚のしるし。③季節や恋情を表す譬喩表現。①田辺福麻呂が葦屋の処女の墓に立ち寄り作る歌には「古の ますら男の 相競ひ 妻問ひしけむ」(9-1801)と、男たちが競い合って女のもとを訪れたという。その様子は大伴家持歌に「千沼壮士 菟原壮士の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命も捨てて 争ひに 妻問ひしける」(19-4211)と詳しい。求婚に訪れるための準備は、山部赤人が勝鹿の真間の娘子の墓に立ち寄った時の歌の中に「古に ありけむ人の 倭文機の 帯解き交へて 廬屋建て 妻問ひしけむ」(3-431)とある。通い婚が始まると夫は夜訪ねて朝帰る(12-2893)ので、通う日を待ちわびる心情が、七夕歌に「高麗錦紐解き交はし天人の妻問ふ夕ぞ我も偲はむ」(10-2090)、或いは「安の川い向かひ立ちて年の恋日長き児らが妻問ひの夜そ」(18-4127)と応用されている。いずれも日常を離れた伝説を語る中に利用されている。②「我が背子が形見の衣妻問ひに我が身は放けじ言問はずとも」(4-637)のように、相手が身につけていた衣や「稲寸娘子が 妻問ふと 我におこせし 彼方の 二綾裏沓」(16-3791)が、求婚のしるしとして詠み込まれる。記には「都麻杼此之物」とあり、風土記には「娉之財(つまどひのたから)」と見える。③人間関係意外にも「秋萩の咲ける野辺にはさ雄鹿そ露を別けつつつま問ひしける」(10-2153)と雄鹿の求婚が詠み込まれている。季節詠としての要素が強くなると鹿がつま問う対象が「奥山に住むといふ鹿の夕去らずつま問ふ萩の散らまく惜しも」(10-2098)と萩の花になり、その鳴き声は「さ雄鹿のつま問ふ時に月を良み雁が音聞こゆ今し来らしも」(10-2131)と季節の到来を導く対象にもなる。鳴き声以外に「一人子」(9-179)を育てる姿が、大切なひとり息子を母が見送る譬喩としても用いられている。「山鳥」(8-1629)の事例もある。 |
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